作品について

今日の「地獄」を生きる人類の肖像画

第一部の『地獄篇』は、2008年アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として、ローマ法王庁中庭の特設劇場にて上演された。
「地獄」は死者が生きているうちに犯した罪により、救われることのない永劫の責め苦にあえぎ続ける場所。かつてダンテが自分の生きている世界の「地獄」を見ながら、自らを物語に登場させて読者に地獄の描写を見せたように、カステルッチも創造の危険性と責任を背負った芸術家、ロメオ・カステルッチ本人として舞台に登場する。
 突然投げこまれた暗黒の森で、疑問と不安、苦痛、恐怖と向き合うアーティストは、自らの犯した罪とは何か、その裁きとは何かを問いかける。ルネッサンスの図像から得られたジェスチャーとモチーフをちりばめながら、次から次へと提示される美しくも悪夢のような情景。それは、観客一人ひとりの経験や思い出と共振し、見るものの感情、感覚、衝動に深く刻み付けられる。
総勢50名にもおよぶ現地エキストラや、舞台上に出現する様々な生命、死、そして破壊と暴力の彼方に、今日の「地獄」での果てしない問いかけが舞台を満たす。

イタリアの異才、カステルッチとソチエタス・ラファエロ・サンツィオ

イタリアの異才アーティスト、ロメオ・カステルッチ率いるソチエタス・ラファエロ・サンツィオは、1981年、ロメオ・カステルッチ、クラウディア・カステルッチ、キアラ・グイディによって設立されたアーティスト集団である。グループ名はイタリア・ルネサンス期を代表する画家ラファエロ・サンツィオにちなんで命名され、演劇、美術、音楽、身体表現、文学など、あらゆる芸術ジャンルを横断しながら独自の舞台言語を創造、展開してきた。
一度観たら忘れられない強烈なイメージと比類なき造形美、“生”の力強さや残忍さ、人間存在のゆらぎをも舞台空間に出現させる圧倒的な力は、ヨーロッパのみならず世界中からも大きな称賛を受け、現在の世界のアートシーンを牽引するグループの一つに数えられる。

ダンテの『神曲』からインスピレーションを得た、今日の地獄、煉獄、天国とは ―

08年アヴィニョン演劇祭のアソシエート・アーティストに任命されたカステルッチが挑んだのは、出身国イタリアで、イタリア文学最大の詩人とされ、ルネサンスの先駆としても大きな足跡を残したダンテによる『神曲』だった。「『神曲』を上演することは、不可能なプロジェクトに違いない」としながらも、カステルッチは、ダンテの『神曲』の解説や舞台化を志すのではなく、自らがダンテ自身になることによって、この壮大な古典に向き合う。
過去の傑出した作品をこの時代に置き換える試みは「記念碑をたたえる葬儀のようなやり方である」と語るカステルッチが、敢えて今『神曲』に挑むのは、そこに我々の時代にも属する力、普遍性を見出したからである。
鮮やかで強烈な想像力を持って、カステルッチは「神曲」を今日の形而上学として再構築する。

劇 評より (2008年アヴィニョン公演)

この作品によって引き起こされた深い心の混乱を述べるのに、何から始めればよいのだろうかー。
カステルッチはダンテの「神曲」をなぞるのではなく、自らの「神曲」を創造する。

(ル・モンド紙、2008年7月17日)

暴力と恐怖に支配された地獄篇は、情熱、有為転変、苦悩といった我々人間が逃れることの出来ない宿命を吟味するための瞑想に変貌を遂げた。

(レ・ザンロキュプチブル誌、2008年7月15-21日号)

終演と共に苦痛は劇場から去り、まぶしいアヴィニヨンの太陽は観客達に人生や身体を取り戻させ、騒々しい日常を連れて来る。しかし観客は「神曲」の長い旅によってもたらされた衝撃と存在への問いに、これからも繰り返し何度も向き合うことになる。 ロメオ・カステルッチは、私たち人間の奥底にある真実を発見させる。

(ラ・クロワ紙、2008年7月16日)

ロメオ・カステルッチは荘厳なイマージュによって我々ののどを締め付ける。彼は我々に何も指し示さず、何も言わない。しかし我々は全てを知ることができ、そして痛みと恐怖、虚構と現実のはざまに漂い続けることから生まれる懐疑に捕らわれる。彼は、強烈で衝撃的な作品を我々に届けた。なんという崇高さ、恐ろしさだろう。

(ル・ソワール紙、2008年7月13日)

ロメオ・カステルッチは、上演不可能と言われていた作品の演出に当たって、原典を説明するという問題を超越することを作品の核とした。それがカタルシスをもたらしている。カステルッチは、圧倒的な、普遍的なイメージを生み出した。

(ラ・マルセイエーズ紙、2008年7月9日)