劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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F/T公募プログラム選評(2012) 小さな身振りか大きな身振りか? ――身振りの思想性、その演劇との関係をめぐって――


 私はここで公募プログラムの審査結果発表会で問題にされた、作品評価の基準としての身振りについて問題にしつつ、幾つかの作品について分析していきたいと思う。作品を評価するにあたって、大きな身振りによって上演されたものと小さな身振りでしかないものとでは、大きな身振りの演劇のほうがより優れているのかどうか、作品を評価する基準として、どうやら大きな身振りによって上演された作品のほうが高く評価されてしまうのは致し方のないことなのではないか、そういった見解が述べられたりもしたこの審査結果発表会は、私にとって、演劇の評価基準における身振りの問題を改めて考えるきっかけになったし、また公募プログラムにおいて上演された作品をどのように考えるべきか、ということを身振りの視点から考察する出発点にもなった。
 ということで、私はこの問題を軸に据えて、2012年度のフェスティバル・トーキョーの公募プログラム作品について考え、そして、その審査結果が、最終的にどうしてそのようなものとして決着したのかについて考えていきたい。

 今年の公募プログラムは日本以外の東アジア各地から6集団、日本各地から5集団が参加し、非常に多彩な趣を呈していて、大変興味深かった。結果として、インドネシアのジャカルタの近くにあるセランというバンテン州の小さな町から来た集団シアタースタジオ・インドネシアの『バラバラな生体のバイオナレーション!』(演出:ナンダン・アラデア)が受賞作となった。最後まで競ったのはシンガポールのダニエル・コック・ディスコダニーのソロ・パフォーマンス『ゲイ・ロメオ』だった。このふたつは、片方はソロ・パフォーマンス、もう片方は集団的な野外作品と、その上演形態がきわめて異なっており、甲乙つけがたいというのが審査員の大方の意見であった。そして、かなりの議論を尽くした後で、最後には多数決で『バラバラな生体のバイオナレーション!』が受賞作になった。そのことにたいして私は異論がないが、なぜ異論がないのかということに関しては最後に触れることにする。
 さて、日本からの参加作品が全体として不調であると判断され、審査会ではあまり議論の俎上に上がらなかったのだが、そのことの意味についての考察がまずは必要であろうと思われる。そのことに触れた後で、受賞作を中心に、選考委員会で問題にされた作品についての私の考えを書いていくことにする。
 日本からの作品、つまり、The end of companyジエン社の『キメラガールアンセム/120日間将棋』、ピーチャム・カンパニー『美しい星』、ヒッピー部『あたまのうしろ』、重力/Note『雲。家。』、集団:歩行訓練『不変の価値』、そのいずれにたいしても私は否定的であった。というのも、ピーチャムを除いて、全体として世界があまりに狭いと言わざるを得ないからである。そして、ピーチャムはといえば、演技があまりに大袈裟で、粗雑であり、その場の閉ざされた空間にそぐわなかったからである。
 さて、すでに述べたように、審査結果発表会においては、小さな身振りということが話題になった。韓国のソ・ヒョンソク氏が、Co-Labプロジェクト・グループ(韓国)の『Co-Lab:ソウルーベルリン』を評価するにあたって、小さな身振りの重要性を説き、『バラバラな生体のバイオナレーション!』(インドネシア)のような大きな身振りに惑わされるべきでないといった趣旨の発言をしたからである。これは大変興味深い指摘であると思われた。『ゲイ・ロメオ』(シンガポール)もまた、ゲイの男性の私的告白パフォーマンスであり、小さな身振りを素敵にかつ知的に演じるということに徹しており、われわれが上演作品を見るときに、ささやかな身振りから大きな問題へと投げ出されていくときの快楽を知るべきだという理念とつながっていた。
 しかし、『ゲイ・ロメオ』はともかく、私が『Co-Lab:ソウルーベルリン』を押せなかったのは、ソウルとベルリンという別々の都市に住む韓国人の二人の女性ダンサーの身振りの中に、その異なる都市から吹いてくる違った風が、彼女たちの生活を取り囲む文化的・政治的な動きが、あるいはベルリンやソウルの状況が表現されていなかったと考えたからである。ソウルとベルリンに何の差異もなく、ただ別々の都市に住む彼女たちの小さな私的な世界が、ミニマルに反復され、そこに友情が立ち現われてくる。だが、それだけならばソウルである必要もベルリンである必要もない。ニューデリーでもヨハネスブルクでも、アビジャン(コートジヴォアール)でも同じかもしれない。果たして世界はそれほどに均質化されているだろうか。もしそうだとしたらそれは悲しいことだ。

 小さな身振りということでいえば、ヒッピー部の『あたまのうしろ』はその最たるものと言えるだろう。そこには写真を撮る人間と撮られる人間がいるだけである。撮られた写真は劇場のさまざまな場所に映し出される。その映像を見ながら、あるいはその傍らで、写真についての思索が、たとえば囁かれる。あいまいな感覚が写真というメディアによって増幅される。そこには、やや大袈裟に言うならば、テーバイ伝説とかアルゴス伝説といった神話世界を呼び起こしてきたギリシア悲劇で提示されるような大きな物語の展開はない。だがその代り、普段忘れられているかもしれない微細な感覚が蘇ってくる。見失われていたものの確かな手触りがここにはある。私はこの舞台を見ながら、1980年代に盛んに行われていたパフォーマンスを思い出していた。たとえばやや厚手の紙を手にして皺くちゃにしてみるといい。もちろん、舞台の上で、それもマイクロフォンが必要だ。ガサガサいう音が増幅されて、スピーカーから大きな音となって聞こえてくる。つまり、パフォーマーの小さな身振りが、紙の上に作られた無数の襞を視覚的にも拡大しながら新鮮な音として聞こえてくるのである。細やかな襞のように音は空間を潤いとともに満たすであろう。このようにして初めて、忘れられていたささやかなものをわれわれはふたたび見出すことができる。
 80年代のパフォーマンスの多くがわれわれに告知していたのはそのような芸術理念であった。だが、それはあくまでも私的な感情と感性の回復を願う者たちのささやかな抵抗ならぬ抵抗であり、あるいはむしろ微細な感情の無抵抗の吐露であり、社会的な変動の中で消えていくしかなかった試みであった。もちろん、一方において、われわれはこのような感性の機微を取り戻さなければならないだろうが、だがそれだけではどうにもならないのだ。なぜなら大きな社会が、こうした感性を圧殺するように横たわっているからである。
 「パリ・コンミューンに加わったある者たちは、バリケードの上でポーズをとる快感を味わったばかりに、生命を落とした。敗北したとき、彼らは、警視総監ティエールの配下の警官たちに顔を識別され、ほとんど銃殺されてしまった」とロラン・バルトは『明るい部屋――写真についての覚書』(花輪光訳、みすず書房)の中で書いている。ちなみにバルトのこの著作は『あたまのうしろ』を構想したとき演出家が参照した写真論のひとつである。バルトはこのような大袈裟な身振りが出現してくるのは革命の瞬間だとも書いているが、革命の瞬間でない時代の身振りはどのようなものとして可能かについてわれわれは考えなければならないだろう。
 おそらくこういうことだ。私的告白、パーソナル・コンフェッション、あるいは微細な感覚から零れ落ちていくものを救い上げようとすることはもちろん重要な人間の創造的行為なのだが、しかしそのことを私的空間のなかだけに閉じ込めておくならば、そうした人間の行動はやがてささやかな記憶の中に掻き消えていくしかないということなのだ。それとは逆に、そうしたことを、たとえば集団の暴力(ナチの絶滅収容所や従軍慰安婦施設の設置など)と拮抗させることができるならば、私的な試みは、大きな力、集団的な暴力とも戦うことのできるある種の核を構成することができるのではないのか。演劇においては、じつはそのようなことが必要とされてきたのである。またそれらを歴史的な事象との関係の中に置きなおしてみなければならないと考えて演劇活動を続けていた多くの劇作家や演出家がいる。そのような芸術家として、直ちに思い浮かぶのは、たとえば、『ゴドーを待ちながら』(1953年)のサミュエル・ベケット、あるいは、『私はもうここには戻ってこない』(1988年)のタデウシュ・カントールである。
 よく知られているように、『ゴドー』の主人公たち、ウラジーミルとエストラゴンは何かどでかいことをするわけではない。彼らは道端でゴドーを待っているだけだ。ささやかな出来事は起こるが、やがて日は暮れる。だが、ゴドーは来ない。そして、第二幕、同じように二人はゴドーを待っている。彼らのうしろに立っている一本の木には葉が茂っている、第一幕では葉っぱはなかった。ということは、ずいぶんと時間が経ったに違いない。そしてやはり日が暮れてもゴドーは来ない。誰もが知っているこの物語は、日本では、結局ゴドーは来なかった、待っていたけどそれは無意味だった、という話として流布している。だが、この劇について考えるとき、われわれはベケットが反ナチスのレジスタンスに参加した闘志であることを思い出さなければならないのだ。
 あるいは、生が煮えたぎるような場所での演劇を作るのではなく、死の演劇を提唱したカントールが、死んだ教室の様子をわれわれに再現させて見せたときにも、カントールがドイツ占領下のポーランドの都市クラクフの地下の非合法劇場で『ユリシーズの帰還』を上演していたということを思い出さなければならない。
 ベケットは「グロリアSMH」というパリのレジスタンス組織で、いろいろな形でさまざまな出所から送られてくる報告をタイプし、さらにそれをフランス語から英語に翻訳していた。そしてその情報を、写真家の協力を得てマッチ箱大の大きさに縮小し、それを外部へと送り届けていたのである。情報を受け取ること、そしてそれを変形し、外部へと伝達することはきわめて危険なことであった。やがてこのレジスタンス組織にスパイが潜入し、「グロリアSMH」が壊滅状態になっていったとき、間一髪逮捕を免れたベケットの逃避行は始まるが、その途中、生きていくためにベケットは必死になって農作業などに取り組んでいた。一般に流布しているベケットのイメージと大きく違うそのような姿を、『ゴドーを待ちながら』を読みつつ、われわれは思い出すべきだろう。なぜなら、私的な生活はこのようにして世界の大きな物語とつながっているのであり、ささやかな身振りはこのようにして抵抗の身振りとなりえるからである。生きていくために、すでに掘りつくされた畑で、もしかしたら掘り残されているかもしれないじゃがいもを掘りだそうとするベケット、それはパレスチナの自由を求めて石を投げるサイードの姿に重ならないだろうか。そして、このときのベケットの体験は『ゴドーを待ちながら』のなかにさりげなく記録されているのである。(この辺の事情については、ジェイムズ・ノウルソン『ベケット伝』(高橋康也ほか訳、白水社)に詳しい。このあたりの私の記述はすべてこの書物によっている)
 小さな身振りによって構成されているベケットの『ゴドーを待ちながら』は、日本ではまったく誤解されているとしか言いようがない。これはまぎれもなくレジスタンス文学なのである。来ないゴドーを待つこと、だが、ゴドーは来ない。しかし、その翌日も彼らは待つのだ。そのために何をしなければならないか。もちろん、生き延びるための何かをしなければならない。ささやかな身振りがその本質的なところにおいて大きな抵抗の身振りとして舞台化されている、そのような演劇をベケットは書いたのである。(だからこそ、スーザン・ソンターグは攻囲されたサラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を上演したのではないのか。灯火管制下で劇場に集まることがどれほど危険なことかをわれわれは考えなければならない。)
 ノウルソンによれば、「あの辺りじゃ、何もかもが真っ赤だ」と『ゴドーを待ちながら』のフランス語版で、ウラジーミルがエストラゴンに、さりげなくかつてブドウ狩りをしていたという地方について語ることのなかには、逃亡生活のなかでベケットが訪れた地方での体験が記されているということなのである。レジスタンスと逃亡、そしてまたレジスタンス。そのプロセスの中でベケットが感じていたこと、それは抵抗をやめないという信念なのだ。それが『ゴドーを待ちながら』の思想的な根幹である。この作品がナチス・ドイツへの抵抗の身振りであること、そのことを無視しては、『ゴドーを待ちながら』について語るわけにはいかない。われわれはこうした歴史的な状況とともに演劇を構築していかなければならないのである。
 このような思索へと導くことのない演劇、そのような演劇は何のために存在する必要があるのだろうか。私はこの疑問をまずは提示したいと思う。そして、このようなかたちで、<身振りなし>、あるいは小さな身振りを現代演劇のなかで最も明瞭に実現化したかのようなベケットの『ゴドーを待ちながら』について改めて考えなければならないのだ。私的体験が歴史の歯車と向き合うとき、演劇はヴィジョンを構想する意味のある空間へと変貌するというギリシア悲劇以来の演劇の伝統がここ、ベケットにおいて蘇るのだ。
 私が大きな脱線をしていると思っている人がいるかもしれない。だが、私はいま、ヒッピー部の『あたまのうしろ』についてどのように評価すべきか、そのことを考える前提について話しているのである。そして、私は、『あたまのうしろ』における小さな身振りがどのようにしたら世界の大きな問題系につながるのかを、この作品を構成・演出した三野新など、若い演出家たちは考えるべきではないかと提案しているのである。
 さて、私は、個人的には新青年芸術劇団(中国)の『狂人日記』(演出:リー・ジェンジュン)に興味を持った。この作品に関心を示した審査員は、私と中国の演出家ウー・ウェンガンと宮沢章夫の3人だけだったので、審査会の時この作品についてはあまり議論されることはなかった。それゆえ、なぜ私がこの作品に興味を持ったのかをここに書いておきたい。
 魯迅のこの著名な作品は、1918年に書かれたものだ。いってみれば、中国の近代化の始まりのなかで、新たな搾取の構造が確立されていくとき、それを人が人を食うという社会の始まりだという妄想の中で生きた狂人の姿を描いたものである。だが、そのような社会の構造が、現代の中国、とりわけ、1989年の天安門事件以降の中国の超資本主義化の過程のなかで強化されているという認識がリー・ジェンジュンにはあるのであろう。そしていままさに進行中のかつての古き良き文化の猛烈な破壊のプロセスの中に魯迅の世界を置くことによって作られたのがこの舞台である。
 舞台には瓦礫が積み上げられている。俳優たちはその瓦礫の中で演じる。その瓦礫は、東日本大震災を経験させられた日本人には、震災の瓦礫のように見えてしまう。しかし、舞台上の瓦礫は震災による瓦礫なのではない。これは2000年を前後する中国での急速な経済開発政策によって破壊されていった、たとえば北京の旧市街の家々の残骸なのであり、このようにして現代中国は人々の生活を破壊しつづけているのだということを示しているのである。
 たとえば、中国の現代美術を代表する幾人かのアーティストのひとり、ツァオ・リャン[Zhao Liang]の話題作、2000年のビデオ映像作品"Bored Youth"などが自然と思い出されてくる。このビデオ作品ではこれから破壊されようとしている建物目がけてレンガや石を次々と投げつけつづける上半身裸の男が写されていた。窓ガラスが割れる瞬間に彼が何を思ったか、われわれはそうしたことを考えつつこのビデオ作品を見ているのだが、彼の横ではブルドーザーが旧式の家々を次々に破壊していく。やがてここには高層ビルでも建つのであろう。彼がレンガや石を投げつけ窓ガラスを割っていったとしても、早晩、その家もブルドーザーによって破壊されてしまうのだ。彼の激しい怒りも、その行為も無意味なものでしかない。どうせ壊されるのだから、その前に何をしようとしているというのかというわけである。だが、中国の若いアーティストたちは抵抗の身振りをこのようにして示そうとしている。
 リー・ジェンジュンの演出した『狂人日記』の舞台では、この瓦礫の上で、魯迅の小説のなかの狂人が、人が人を食うという社会に自分が投げ込まれているということを、妄想のように語りつづけるのだ。瓦礫の物質的な力は圧倒的である。さらに言えば、冒頭、この瓦礫の上にいる登場人物たちが、叫ぶように、否定的な単語を唱和する。それは文章にはならず、ただの単語の叫びでしかないが、それらは現実の社会の闇を明示的に指し示す言葉であり、空間を激しく貫く告発の言葉となって、われわれ観客のもとに届けられるのだ。陰謀、堕落、支配、搾取、暗闇、略奪...、瓦礫の上の登場人物たちは交互に、そして順番に、このような否定的な単語を叫びつづけるのである。現実の事態について明示的に指示していくこのような言語によって切り裂かれる空間は、それ自体で屹立しており、ひとしきり続くそれらの単語の連呼のあとで、瓦礫の下から、瓦礫を押しのけるようにして姿を現す<狂人>のその弱々しい姿がまた印象的であったが、こうした引き裂かれた声の連呼は、瓦礫の下から狂人を呼び戻す最適な序曲のように私には思えたのである。
 そして、この狂人の肉体の弱々しさが、彼が実際に戦わなければならない強大な権力との関係の中で際立ってくるとき、小さな身振りとの関係が改めて問題化されざるをえないのである。小さな身振りは、多くの場合、力ない身振りに見えるかもしれないが、しかしそれがときとして大きな権力と戦うのだ。そこに戦いの原点があるのだということを新青年芸術劇団の『狂人日記』はわれわれに言おうとしているのである。問題は、単なる力強さではない。力はない。だが、抵抗はしつづけなければならない。まさに、ベケットがあの『ゴドーを待ちながら』で書いていた精神、それがここでふたたび召喚されているのである。
 そろそろ私は受賞作『バラバラな生体のバイオナレーション!~エマージェンシー』について語らなければならない。私がこの作品を受賞作として押した理由はやや複雑である。それ故、その理由について説明するにはかなりの字数を要するであろう。これからしばらくは読者の忍耐をお願いしたい。
 実は私は、『バラバラな生体のバイオナレーション!~エマージェンシー』を見はじめたとき、この作品は面白そうではあるが、どうでもいいかなとも感じていた。これは東京・池袋西口公園で行われた野外劇であり、この舞台にははじめから賑わいが感じられていた。公園の一角でその開演を待って座っていた私の後ろのほうから、竹を使って作った四角い仮面のようなものをかぶって(頭の上に掲げて?)行進しながら入ってきた人たちがいた。ちょっとした祝祭的な雰囲気が高まっていく。こういうものもあるだろう、しかし、それがどうだというのか、というふうに私はまずは思ったわけである。このようなときに何か儀礼的な事柄がこれから展開するのであろうと思うのは自然なことであり、そのことの始まりを私は阻止する必要もない。
 だが、舞台がその先に進むにつれ、私は、別のことを考えはじめるようになっていた。彼ら・彼女たちがやがて広場に並べられていた、あるいは持ち込んできた竹をつなげはじめると、そうした竹の素材は段々と大きな構築物へと変容していったのだ。そうして、それはやがて巨大な風車のようなものになっていった。その風車は直径10メートルもあっただろうか。そのようなものが構築されていくプロセスを見ていくうちに、私は、人間の創造する力の偉大さについて考えはじめたし、また、竹という単なる物質が、実在する力としてわれわれの前で跳梁することの意味を、それを作り出していく俳優たちの演技とともに感じはじめたのである。新たな社会を構築していく力はこのような試みとともにあるのかもしれない。そのプロセスを見ながら、私は、もしかしたら、この素朴な竹細工のような演劇において、実は、インドネシアの近代が問題化されているのではないのかという疑惑に捉えられたのである。そして私はある人との会話を思い出した。
 2005年、インドネシア、ジャカルタでの演劇会議のあと、ジョクジャカルタを訪問した私は、そこで劇団テアトロ・ガラシの演出家ユディ・タジュディンと話をしていた。神話的な空間を潤いとともに実体化した後で(第1部)、冷たく白い無菌の病院的な空間を提示していた(第2部)その作品『ワクトゥ・バトゥ(Time Stone)』のグランド・リハーサルを見た後で、私はユディ・タジュディンがそのような彼の演劇において何を目指していると考えているのかに大いなる興味を感じた。あなたの演劇の理念は何か、なぜこうした神話的な空間の中に、近代的な医療的空間が侵入してくるのかと私は尋ねてみた。そのときユディはこう言ったのである。
「私の演劇のテーマは、神話、歴史、そして近代性(モダニティー)です。」
 いうまでもなく、第1部が神話的世界の表象であり、第2部が近代医学がヨーロッパからもたらされたあとのインドネシアの歴史の提示である。それが同時に植民地化の歴史でもあったことは言うまでもない。しかし、この言葉はそうした事実を単に表明しただけのものではない。神話から歴史へ、そのように言うことはたやすい。だが、その移行を意識することは近代的な思考なのだということを意識しなければならない、そのようなことをこのユディ・タジュディンの言葉は意味しているのだ。ギリシア演劇において世界が神話の時代から歴史の時代へと転換すると言ったのはヴァルター・ベンヤミンであったが、そのようなことを語る人は少なくない。だが、そのような神話から歴史への移行を語るということそのものが近代的な意識であるということを認識している人はそれほど多くない。私はユディ・タジュディンとの会話の中でインドネシアの現代演劇の水準の高さを確認したが、このようにインドネシア文化と近代との格闘について考えつつ舞台作品を作っているインドネシアの一群のグループが存在するということをそのときのインドネシア滞在において知らされたのである。その系譜の中にシアタースタジオ・インドネシアの演出家ナンダン・アラデアも位置しているのであろう。
 一見神話的に見える世界の中に、つまり竹細工の演劇のなかに、演出家の近代的な意識を見て取ることは実は容易ではない。俳優たちが必死になって竹と竹とをつなぎ、組み合わせていく。やがてそれが巨大な風車のような構築体になっていく。構築する者たちの力強さが際立ってくる。それが徐々に俳優たちの手に負えないものへと巨大化していく。だが、それをどのようにしたら制御できるのか。そのことを奮闘しつつ、もしかしたら制御することはできないのではないのかという疑惑とともに、その構築の作業を実践しつづけること、それが俳優たちに課せられた労働なのだということを思えば、この劇の力強さがどこから出てきたのかということが了解されるであろう。
 劇の中盤、竹で作られた構築体は半ば完成する。その構築体の上に果敢にも登っていく俳優がいる。それはきわめて危険な行為だ。彼女(彼だろうか?)は滑り落ちそうになる。だが、その人は巧みにそれを回避する。近代が生み出した巨大な構造体のなかに入り込みつつ、それに取り込まれることなく自らの生を全うしていく人間がいるのだということのメタファーなのだろうか。構築体を作り続けていく人間の意志とその制御能力への信仰なのだろうか。いずれにしても、この巨大な竹の構築体に必死になってすがりついている俳優たちの姿は、われわれが失っている何ものかを提示しているのだ。そしてその何ものかとは、新たな社会を構築しようとしている人間たちの意志であり、抵抗の精神なのだということは明らかである。そのことを確認すること、それこそがユディ・タジュディンがいったところの近代性(るび=モダニティー)の本質なのではないだろうか。
 改めて言おう、確かに、俳優たちが構築していく構造物の材料が竹であること、それがこの舞台に古風な雰囲気を与えている。だが、そのような素材においてすらも、実は大きなものが構築できるのだ、そして、その構築されたものが実は巨大な力を獲得していくのだということは、この作品のパフォーマンスそのものがわれわれに示していたことなのであった。そして私はこのパフォーマンスを見ながら、ある種の力強さを感じていたが、しかし、この作品のタイトルを思い出してみるならば、ある歴史的な認識がこの作品の背景には横たわっていることがわかるのである。
『バラバラな生体のバイオナレーション! ~エマージェンシー』。
 バラバラな生体(Disjointed Body)とは何か、バイオナレーション(Bionarration)とは何か、エマージェンシーとは何か。ともかくエマージェンシー(緊急事態、非常事態)なのである。確かに、このあわただしさは、非常事態にどのように対応すべきかのモデルを演じているようにも思える。だが、そうした非常事態をもたらしたもの、それは人間の技術によって構築されたものなのだ。この構築体は幾つかの存在を思い出させる。何よりもまず、構成主義作品の金字塔ともいうべきウラジーミル・タトリンの『第3インターナショナルのための記念塔』(1919-20年)が思い出される。あるいは、メイエルホリドが演出したビオメハニカの記念碑的舞台『堂々たるコキュ』(1922年)のためにリュボーフィ・ポポーワによって作られた構築体。こうした構築体のすべてが有機的なリズムを生み出すということ、あるいは宇宙的な感覚に貫かれているということを問題にして、タトリンやポポーワの構築体に、有機的コンストルクティヴィズムという呼び名が与えられることがある。ナンダン・アラデアの集団が作っていた構築体はまさに有機的構築体そのものであった。
 ドゥルーズ&ガタリは、その『アンチオイディプス』のなかで、ロシア・アヴァンギャルドを念頭に置きつつ、「未来主義は始原主義を呼び起こす」と書いたが、モスクワで演出を学んだナンダン・アラデアは、始原主義を未来主義へと接続しようとしているのだ。つまり、未開社会における創造の手続き(ブリコラージュ)を野外演劇として繰り広げながら、超近代の科学技術の制御不可能性と戦うという身体的な実践を果敢にも展開しつづけるのである。あきらめない、それがこのパフォーマンスの思想的根拠でもあるのだ。だから、巨大な構築体に脅かされつつも、しかし、それを切り抜けようとする身振りが考案されつづけるのである。うまくいくかどうか、それはわからないが、いまのところ、彼ら、彼女たちはうまく切り抜けている。その時間の流れが、このパフォーマンスの持続時間であり、緊急事態はバイオナレーションによってかろうじて切り抜けられているのである。そのことが、おそらくは、インドネシアにおいても、近代性の展開過程のなかで人間が試みつづけなければならないことなのであろう。そして、そのことを実践するモデル、もしくはヴィジョンを提示するものとしてこの舞台は構想されているにちがいないのである。
 こういうわけで、私はこの作品を受賞作に押したわけである。
 最後に、審査委員会できわめて評価の高かったダニエル・コック・ディコスダニーの『ゲイ・ロメオ』(シンガポール)について触れて、長すぎるんじゃないと非難されそうになっているにちがいないこの私の講評を終えることにしよう。このソロ・パフォーマンスが受賞作にならなかったのは残念であったが(受賞作がひとつだけであるのでいたしかたないことでもあるが)、この作品がすぐれた作品であるということを私もまた否定しはしない。とりわけ、「ミニダンス」と呼ばれるシーンは秀逸であった。
 ダニエル・コックはセクシャリティーをめぐる長いレクチャーをしていく。ゲイ・カルチャーに関するさまざまな情報が聞こえてくる。あるいは、ジェンダー理論のなかで展開されていることも。性に関する様々なことを巡る思索があらかじめわれわれに手渡されているノートブックに書かれていて、ページを指示されたわれわれ観客はそのページを繰りつつ、その個所を読みながら彼のささやかな身振りに目を向けるのである。それは微妙な形できわめて知的な時間の流れを作り上げていき、われわれを思索的な空間へといざなうのである。ダニエル・コックの身振りは、いまから20年ほど前に、つまり1990年ごろ、私がニューヨークで目にした数々のゲイ・パフォーマンスの香りを漂わせていて、私は思わずティム・ミラーの『私のクイアーな体』やロン・ヴァウターの『ロイ・コーン/ジャック・スミス』などといったパフォーマンスを思い浮かべたのだった。
 ダニエル・コックのこのパフォーマンスの核心は、観客が舞台を見るときに、そこで展開されていることを意識的に思索的に見るのではなく、無意識のうちに欲望に身を寄せていると言うことを意識させようとしていたことである。必要なのはジェンダー意識だけではないということだ。さて、この作品のパフォーマー、ダニエル・コックの役割は、ゲイのポール・ダンサーを演じることである。ゲイのポール・ダンサーは観客たちのどのような視線に晒されるのだろうか。その視線は何を物語っているのだろうか。幾つかの視線の質が存在する。たとえば欲情的な視線。あるいは冷ややかな視線、また批評的なまなざし、あるいは、そうした批評的なまなざしが意味を失い、瓦解していくときの様子、そうした幾つかのフェイズのどの視点から見るかを、ミニダンスにおいては、ダニエル・コック自身が観客に指示するのである。たとえば、照明が赤くなったならば欲情的に見るようにという具合に。観客は、こうしたミニマルなダンスの展開に付き合いつつ、はたして照明効果のなかにそのような力がありうるのかということを疑いつつ、知的なダンスをしばし楽しむのである。これがブルジョア趣味に過ぎないという批判をかすかに思い浮かべつつではあるが。
 こうした知的操作が続いた後で、ダニエル・コックは、ついに、本物のポール・ダンスに挑むのだ。しかしそれは、きわめて煽情的なものであり、また自己陶酔的なものであって、かりに照明が赤(欲情)から緑(思索)に変わったとしても、そこでは肉体そのものの動きが重要なままなのであり、照明における色彩の変化が観客の見方の変更を促すというような効果は完全に消えてしまっているのだ(こうした色彩の効果の無効性については、スクリャービンの色彩の交響曲『プロメテウス』プロジェクトによって証明済みなのだ)。そこにはもはや知的操作や思索のプロセスとの衝突は存在しえず、欲情的な肉体の乱舞へと埋没していくダニエル・コックの姿が見えるだけである。ダンスの肉体の躍動は理論を超える、理屈よりも肉体だ、そのように評価するならば『ゲイ・ロメオ』はそのゲイの肉体の生々しさによって圧倒的な力をわれわれに示していたと言っていいであろう。しかし、ジェンダーとは何か、ゲイのアイデンティティとは何か、そのことをノートの中に記述された様々な体験とともに観客に提示しようとしてきたこのソロ・パフォーマンスにおいて、そのすべての疑問と問題性が一つの快楽へと解消されていくのは問題なのではないだろうか、それが私のこの作品に対する疑問であった。もっとも、私はこうした作品を無数に見たことがあるという思いもあり、この作品は私にとっては新鮮味に欠けていたのである。けれどもシンガポールにおいてはゲイであることは法律によって禁じられているそうであり、このようなパフォーマンスそのものが抵抗の身振りであるということを思えば、ダニエル・コックのこのパフォーマンスを別の視点から評価しなければならないだろうとも思うのである。
 とはいえ、この作品『ゲイ・ロメオ』は多数決で受賞を逃した。もし、ソロ・パフォーマンス賞とでもいうものがあったならば、この作品はその賞を獲得したかもしれない。いずれにせよ、シアタースタジオ・インドネシアの『バラバラな生体のバイオナレーション!エマージェンシー』が優れた作品であることは大方の認めるところであり、しかも、『ゲイ・ロメオ』のような問題を露呈させていないという意味でも、この作品『バラバラな...』が受賞作に決まったことを私は寿ぎたいと思う。ここで取り上げることのできなかったほかの舞台については、別の機会に取り上げることがあるかもしれないが、それは定かではない。
 このように書いてきた私の判断基準がどこにあるのかはすでに明瞭であろうが、そのことを、大きな身振りと小さな身振りとの関係の中で改めて簡単に記しておきたい。ヴァルター・ベンヤミンは、作品の良し悪しの基準として、その作品がどのような問題に取り組もうとしているのか、その課題の大きさがまずは問われるし、さらにその課題にその作品がどの程度まで応えているのかを見なければならないと言っていた。私の判断基準もまたベンヤミンに倣っている。ところで、そのことを大きな身振りと小さな身振りとの関係でいうとどうなるのかが問われるだろう。うずくまる姿勢、ゆっくりと落下する身体、ささやかな問題、身の回りの事象、こうしたものはしばしば小さな身振りとともに提示されるかもしれない。だが、ベケットの『ゴドーを待ちながら』のような身振りは果たして小さな身振りなのか、大きな身振りなのか。待たれているのはゴドーである。それはピエロのように矮小化された神なのか、それとも大いなる神なのか。道端にしゃがみ込んでぼそぼそとつぶやきながらゴドーを待っている二人の男たちの身振りは貧弱な身振りにすぎないのだろうか。しかし、彼らの身振りは、死なないという決意を秘めた大いなる抵抗の身振りかもしれない。こうして大袈裟な身振りとは違う小さな、だが力強い抵抗の身振りが出現してくるかもしれない。いま必要なことのひとつはそうした身振りとしてわれわれはどのような身振りを持ちうるのかを探求することなのではないのか。それをどのようなものとして見出すことができるのかという問いは、問題の核心がどこにあるのか、政治的、文化的、経済的、精神史的なさまざまな問いへの応答として応えられていかなければならない。そのような応答としての演劇、そして身振りこそが探求されなければならない。それが現代の演劇の一つの課題である。つまり、身振りの大きさとは、それが物質的にとか、空間的にとか、あるいは身体的に大きいかどうかという問題ではないということなのだ。そして、そうした意味での身振りの現在のありかたに応えようとしているものとして、シアタースタジオ・インドネシアの『バラバラな生体のバイオナレーション!エマージェンシー』が上演されていたのだと私は認識しているのだということを最後に付け加えておこう。
(おおとり ひでなが 演劇批評)

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