劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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「不可視なペストの時代」の知覚装置


東京以北の日本はいま、目に見えない病に冒されている。その病は、ゆっくりとしかし確実に、国土を荒し、人体を侵し、正常な言語感覚を失調させている。政治家が、マスメディアが、御用学者が、「安全です」と宣言する。しかしその力強い安全宣言の連呼はもはや、言葉として、国民の不安感情を増幅させる反作用しか持ちえない。確かに表面的には安全だ。何も見えないのだから。しかし可視化できないものの水面下で、かつてないほど巨大な病が国内で猛威を振るっている。言葉を換えるなら、日本中はいま「不可視なペスト」に侵されている。

周知のとおり、フランスの演劇理論家アントナン・アルトーは、1720年に帆船グラン=サン=タントワーヌ号がマルイセイユ港に到着したのち本土にもたらしたペストの猛威を、演劇のアナロジーとして採用した。彼はフランスでペストに侵された人々があらゆるきれいごとの言動を打ち棄て、強姦、略奪、殺人、といった残酷な本性を露わにするその姿に劇的な生の原態を見てとった。そしてアルトーは、演劇表現にも同様に人のなかに眠る残酷なイメージの数々を剥き出しにする潜勢力があり、ゆえに逆説的に、感性が鈍麻した時代においては「情熱的で痙攣的な生の概念」(i)を取り戻すことができる無二の装置であると説いた。

とはいえ、潜伏期間が2−5日間しかないペストとは異なり、現代日本を侵す不可視なペストは、数年、数十年、あるいは数百年単位の潜伏期間を持つ。よってアルトーがその著書において叙述したような、痙攣的な生を渇望する人々の狂乱状態はココにはない。実際、私の知る限り、ココの日常はじつに穏やかだ。しかし、誤解を恐れずに言うならば、この不可視の病もいちど罹患すると不可逆であるという意味において、ペスト同様、緩やかな死の舞踏を踊らされていることに代わりはない。そして国家全体がこうした震撼すべき病に侵されている季節においては、社会状況を克明に投影する芸術表現である演劇は、必然、ありものの言語で感性の鈍麻した娯楽を作りつづけてはいられなくなる。

では、この不可視なペストの時代において、演劇はどのような劇言語を獲得すべきなのか。今年のフェスティバル/トーキョー(以下:F/T)は、この問いに対しての暫定的な答えを付与してくれた。結論を先に述べるなら、強烈な印象を残した作品の多くは、可視情報を既存言語で手際よく描出する作品群ではなく、さながら見えない情報を検知するガイガーカウンターのように、不可視情報を身体で察知し、また観客の身体に伝播してくれる、いわば「感覚的知覚を再蘇生する」劇言語を用いた作品群であった。要約するなら「記録の可視化」でなく「感覚の可知化」。その顕著な例として、本稿では主に高山明『光のないⅡ』を引用し、さらに松田正隆『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』、ユン・ハンソル『ステップ・メモリーズ-- 抑圧されたものの帰還』などについても触れたいと思う。

再びアルトーに戻るが、彼は主著『演劇とその分身』(1938)執筆中のフランスにおいて、「(人々が)今日のように堕落した状態にあるときには、形而上学を精神に到達させるには皮膚を通すほかない」と主張した。つまりアルトーは、皮膚のあちこちに出血斑が浮かぶペストに罹ったときのような切実感をもって、人々は肌を介して、頭脳を魂に到達させるべきだと説いたのだ。このアルトーの言葉から翻って考えると、経済的愉楽に感性が弛緩しきっていた数十年前の日本においても、こうした皮膚感覚の切実感が極めて欠如していたように思える。しかし経済が緩やかな下降線を辿るとともに、国家が、組織が、個人が、にっちもさっちもいかない負の膿を体内に溜め込んでいき、そして、奇妙にもアルトーに呼応するかたちで遠い異国の作家である佐野眞一が語るように、2011年の3月を境にその膿が一気に生命を吐き出した。「『三・一一』で私たちが得た最大の財産は、"切実感"だった」と佐野は言う。つまり不可視なペストに襲われたとことにより、日本人も出血班と格闘する切実な生を自覚したのだ。しかし、月日は流れ、鋭敏な皮膚感覚は再び習慣という魔物に呑まれていく。「"切実感"は薄れ、被災者の身の上を思いやる想像力は枯渇していった。(中略)"精神の瓦礫"状態が日本中に広がっていったのである。」 (ii)

果たして"精神の瓦礫"状態とはすなわち被災者の身の上を思いやる想像力が欠如することなのか。それはまた別の議論を要するものの、佐野のいわんとしていることは分かる。要するに、かつての感性が弛緩しきった堕落状態に戻らずに、いまだまったく収束していない被災地の事態に対して切実感をもって思考し続けていくべきであると叱咤しているわけだ。劇作家エルフリーデ・イェリネクが2012年3月12日に発表したテキスト『エピローグ? [光のないⅡ]』で警鐘を鳴らしたように「認識できない危険」(iii) はまだココにあるのだから。しかし、認識できないものごとに対して、人は、命懸けの切実感を持ち続けることができない。だからこそ、このような不可視ながらも確実に実在する危機を孕んだ時代においては、芸術家には、記録の可視化ではなく感覚の可知化が要請される。では前述したF/Tの作品群では、具体的に、どのような方法論で身体的な可知化が行われたのか。本稿では「旅の感覚」「二重否定の想像力」「沈黙の下のざわめき」という三つのキータームを採用して解説していきたい。

11月20日に行われたF/Tシンポジウム第一部において、登壇者の高山明、松田正隆、村川拓也の三氏は、偶然にも、おそらく限りなく近似値な皮膚感覚を説明した。高山は「迷子になる」と言い表し、松田は「旅に出る」と語り、村川は「旅行者になる」と説いた。推測するに三者とも、身体を通して日常の風景を非日常の景色として捉え直す試みを上記のような言葉で言語化したのだと思う。別の角度から説明するなら、折しも、その日のゲストスピーカーであり、陸前高田気仙川出身の写真家・畠山直哉がその著書『気仙川』で、自分の故郷を年単位で撮り続ける行為について「ある種の想像力を身につけなければ、毎日通い慣れた道を初めての道のよう歩くことはできない」と説明したように、3人の演劇作家たちはみな、まるで異国をそぞろ歩く旅人のように、震災でいったんリセットされた日常を新たな想像力で知覚しなおそうと試みたのだと思う。そして特に、このある種の旅に出ることにより促される、五感を習慣から脱却させる知覚の再蘇生は、高山の『光のないⅡ』において鮮明に体験することができた。

高山による本作は、前述のイェリネク戯曲を用いた世界初の「ツアー・パフォーマンス」であり、また劇/街の境界線を融和する試みの一つとして捉えるなら、『個室都市 東京』(2009)、『完全避難マニュアル 東京版』(2010)という彼の旧作の流れを継ぐ作品であった。読者の多くは本作の体験者であろうが、一応、骨子を概説するなら、まず観客はスタート地点で、表面に福島に連関したイメージが印刷される地図付きの12枚のポストカードと、携帯ラジオを手渡されることになる。そして、地図を頼りに指定された新橋界隈12カ所の鑑賞スポットを順次訪れ、その指定地において携帯ラジオの周波数をチューニングし、写真とイメージ連動する場(雑居ビルの一室に敷かれたせんべい布団や、新橋にあるパチンコ店前の風景)に佇みながら、いわき総合高校演劇部の生徒たちが音読するイェリネクの戯曲を耳にすることになる。鑑賞スポットを廻るための所要時間は2時間ほど。その間、観客は既視感と未知感のあいだで、実に異様な違和感に晒され続けることになる。つまり観客が目にする風景はいつもの新橋ではないものの新橋でないわけでもなく、耳にする言葉はいわき市の高校生のものでありながらもイェリネクのものでないわけでもなく、そして体験の総体は東京で行われていながらも福島を表していないわけでないわけではない。つまり、本作では演劇の代理表象がつねに「二重否定」されていくのだ。なぜ高山は、この否定の否定という複雑な伝達法をあえて選択したのか。彼は、当日配布パンフレットにおいて以下のように語っている。

「震災後、僕は新聞やインターネット上に掲載されているあらゆる映像や写真をパッチワークし、自分なりに『こんな感じだろう』と、ある種、タカをくくって混乱しないでいる場所を作りだしてきたように思います。(でも)この『光のないⅡ』(というイェリネクの戯曲)は、そうやって僕が作りあげてきた福島のイメージを思いっきりぶち壊してしまった」。

おそらく高山は震災後、多くの表現者たちがそうしたように、あらん限りの情報手段で福島の現実を確認していったのだと思う。この福島の風景は真実である、この福島の言葉は真実である、ひとつひとつ、自分のなかで信用に足る情報を選別していく。そして震災以後の、表現者としての拠り所となる自分なりの心象風景を構築していったのだろう。しかし、いかなる努力を重ねても、高山が明かすように「福島の状況を本当の意味で分かることはない」。その虚無感。そのぽっかりと空いた心の穴に襲撃をかけてきたのがイェリネクの言葉だったのだろう。そして『光のないⅡ』という演劇作品においては、この高山の受けた衝撃、イェリネクにより崩壊されたリアリティの失調感覚が、そっくりそのまま観客の身体に憑依してくる。だから観客は、明解な見世物、明解な主体、明解な距離感が不在の、福島でないわけでもない二重否定の想像力のなかで、目一杯、感覚の迷子状態に陥っていく。つまりイェリネクの言葉を借りて説明するなら「ここにはあらゆるものがなにもない」と同時に「なにものでもないものがあらゆるものである」のだ。

またさらに、観客の精神的迷子状態だけでなく、物理的不案内さをも高めるために、演出家は意図的に客がひとりで新橋の街を歩く観劇形態を強いる。そこから立ち現れてくるのは、2時間に及ぶ、圧倒的な「沈黙」だ。もちろん日常生活においても、通勤、読書、睡眠など、目的と方向が定まったうえで人が沈黙に身を浸すことは少なくない。しかし、ここで付与される沈黙はあらゆる目的性/方向性のベクトルが(作品というフレームの枠内でではあるものの)意図的に剥奪されている。言うならば、からっぽの真空状態の沈黙。そして興味深いことに、誰もが大人になるにつれ喪失していく、こうしたまるで放課後の学級児童のような目的も方向もない、ある種の「幼児性」(iv) を抱えた真空状態に身を浸すことで、発話の下の沈黙のさらにその下に潜む、想像力のざわめきのようなものが突如うごめきはじめる。それこそメルロ=ポンティが、私たちのあらゆる論理と思考の下には、言葉の種子を孕む沈黙が横たわると説いたように。またその沈黙においてのみ「出来合いの諸意義が(中略)今まで知られていなかった法則に従って相互に結びつき、新しい文化的存在が決定的に出現する」と論じたように。高山の作品では、成熟した発話以前の胎児のようなことばが沈黙から生まれてくるのだ。

ちなみに高山が構築したこの新たな演劇の知覚装置--------すなわち、既存の可視情報をいったん手放し、旅のように新鮮な肌感覚で知覚し、沈黙の下のざわめきに到達して未知なる諸意義の法則を生み出す--------という装置は、F/Tにおける他の主催公演にも、もちろんある種の変化のバリエーションこそあれ、多く見てとれた。

例えば松田正隆の作品では、約3ヶ月かけて断続的に予定の場所と時間で発表された<第一の上演>の可視情報を観客が体内に蓄積させて、<第二の上演>場所であるにしすがも創造舎に赴くことになる。しかし、第二の上演場所で観客が目にするものは、なにも物語を語らずに7時間ただ沈黙しつづける役者たち。観客は、彼らをなすすべもなく見つめることで、自分たちのなかに整ったかたちで記録された情報の順列をいったん解体し、沈黙の下に眠る意味のざわめきのようなものを知覚していくことになる。あるいはユン・ハンソルの作品では、朝鮮戦争にまつわる体験者の証言、歴史資料の記録、思想書の引用などの手応えのある情報が、同じく会場であるにしすがも創造舎を歩きまわる観客に与えられていくことになる。だが、ここで演出家が伝達したいのは正確無比な情報の収集物ではない。体育館で上演される劇の最終場で、小さくて冷たい土袋が観客に配られることからも分かるように、ここでは情報から「記憶を再生」するのではなく「感覚を再生」することが促されるのだ。題材にとる事件こそ異なるものの、ハンソルの劇言語は3.11後を生きる日本人作家たちのそれと呼応する。

よって最後に、今年のF/T主催公演全体を通しての感想をまとめるならば、どうやらあらゆる言葉への信頼感が失われた現代日本においてはいまなにより、高性能な発信器ではなく受信器となり得る芸術家が求められているということだ。それこそマクルーハンが芸術家とは「感覚的知覚の達人だ」と言い表したように。不可視なペストの時代の芸術家には、普通の人間が普段知覚できない情報を繊細に受信して、それを観客に可知化してみせる表現が求められているのだ。厖大な膿を孕んだ不可視の出血班は、我々の身体を覆っている。その事実を決して忘れてはならないことを、F/Tのアーティストたちは皮膚を介して知覚させてくれた。


(i) アントナン・アルトー著、安堂信也訳『演劇とその分身』(白水社、1996年)
(ii) 佐野眞一、和合亮一著『3.11を越えて -- 言葉に何ができるのか 』(徳間書店、2012年)
(iii) エルフリーデ・イェリネク著、林立騎訳『光のない。』(白水社、2012年)
(iv) 『はじまりの対話 Port B「国民投票プロジェクト」』現代詩手帖特集版(思潮社、2012年)

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