「その土地にどんな草が生えているか、ということはその土地の踊りにも直接関係してくる」。インドネシアの前衛舞踊家として世界的に知られるサルドノ・クスモは、ダンスがその環境と密接につながっている事実を絶えず強調する人である。
サルドノは1960年代末からインドネシア各地を旅して、土地ごとに違う伝統舞踊や芸能、人々の身振り、発声法などを観察してきた。彼の説明によると、例えば丈の高い草が茂る土地では人々は足を高く上げて歩く。そしてそうした動きを民俗舞踊は如実に反映する。広大な多民族国家インドネシアにはそうした事例が無数にあることを実地に学びつつ、サルドノ自身は、自然環境のみならず都市の歴史や世界規模の政治的状況までをも含んだ多層的あるいは複合的な「環境」に応答するパフォーマンスを展開してきたのである。地域の民族紛争や、ジャワ原人や恐竜の化石、火山噴火、王宮と植民地化の歴史、あるいは9・11に至るまで、サルドノの作品は上演が行われる場のコンテクストを重視したサイトスペシフィックなものばかりだ。人の足の上げ下げの仕方が、そこに生育する草の丈と呼応しているように、サルドノのダンスもまた環境に応答する。彼の思考は常にエコロジカルであり、環境から切り離された抽象的な「空間」や抽象的な「動き」が問題とはならない。
こうした話題は、とりわけ「コンテンポラリーダンス」の文脈では文化の特殊性の問題(ヴァナキュラー)として軽視されがちであるように思う。しかし「環境」が、各々の場所においてダンスを成立させる条件であると同時に、想像力にとっての材料の宝庫でもあることは、サルドノのみならず、土方巽や、金梅子、チャンドラレーカといった戦後アジアの前衛たちがそれぞれに証明してきた通りなのだ 。(i)
*
F/T12の公募プログラムにおけるアジアのダンス系作品にも同じことがいえそうである。とりわけWCdance『小南管』(振付・演出=リン・ウェンチョン)と、シアタースタジオ・インドネシア『バラバラな生体のバイオナレーション! ~エマージェンシー』(演出=ナンダン・アラデア)は、伝統文化からの疎隔という現代アジア的なエコロジーを完全に共有している。
池袋駅前の広場に大量の竹を持ち込み、一見すると単純な「未開社会」のイメージを提供するかに見える『バラバラな生体のバイオナレーション!』だったが、上演後のトークで演出家が語ったところによれば、劇団のパフォーマーたちは誰も竹を使いこなす技術など持ち合わせておらず、ラディカルな反文明主義で知られる少数民族バドゥイ族(電気はおろか文字や貨幣、車輪すら使用を拒む)の集落に通って習得したという。つまり、あの最終日の大雨の中でさえも危なげなく竹を組み立て、よじ登り、立って歩きさえして観客を驚かせたパフォーマンスは、失われた伝統文化に対する再帰的な関心に支えられて初めて実現した力技だったのである。
他方、『小南管』は、WCdanceのメンバーと伝統芸能の演者たちが共演することによって両者の間に横たわる長い歴史的時間の経過を可視化していた。太極拳や気功などをモダンダンスに取り入れて文化的アイデンティティを華々しく身にまとった、同じく台湾のクラウド・ゲート・ダンス・シアターなどとは全く異なる姿勢で、文化的アイデンティティをめぐる割り切れない感覚を率直に表していたのが印象深い。
日本でも例えば「能とコンテンポラリーダンスのコラボレーション」などといった企画はよく見かけるが、しかし室町以来の伝統と現代人の連続性あるいは非連続性を真摯に問う上演になどまず出会わない。確かにそうした問いは白々しく感じられるのである。しかし、ではこれほどまでに「日本人」を歴史意識から遠ざけるような環境とは一体何なのかと問うことも可能だろう。ところがそうした視点をもつ振付家は(手塚夏子がその最も重要な存在である)、ごくマージナルな位置に留まっている。
では韓国のCo-Labプロジェクト・グループ(振付・出演=ファン・スヒョン、イム・ジエ)はどうか。道具立てだけを見れば些かありふれたマルチメディア・パフォーマンスである。しかし同じダンスカンパニーに所属していた二人がベルリンとソウルに分かれて過ごすことになった状況をそのまま活かしており、「グローバル化」と「メディア」という題材はあくまでも二人のダンサーを取り巻く日常的な「環境」として、私的な視点から捉えられている。インターネットやヴィデオカメラは手段でもなければ目的でもなく、二人のダンサーの身体の一部なのだ。
何らかの状況をひとまとまりに客体化して提示しようとするのが演劇的なアプローチだとすれば、まず身体が前提としてあり、そこからの主観的なパースペクティヴの中に身体を取り巻く環境が含み込まれて来るのがダンス的な想像力であるように思う。そしてそれはまたアジアのコンテンポラリーダンスの顕著な特色でもある。ヨーロッパではダンスは劇場(シアター)の制度の内部にしっかりと包摂または隔離されており、もっぱらその抽象的な空間の中で思考されがちだが、アジアにおいてコンテンポラリーダンスがそうした前提に依拠する必然性は(今のところ)ない。むしろ踊る身体は常に具体的な環境と連続しているのである。
*
身体と環境の連続性を考える上で、今回F/Tの掉尾を飾った勅使川原三郎『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』ほど興味深い上演はない。最近の勅使川原の作品傾向とは異なり具象性の強い作品が、1991年の初演時の構成を保ちつつ、新しい要素を取り込んでいるばかりか、間違いなく今現在の日本という場におけるエコロジカルなパフォーマンスとして成立していたからだ。
勅使川原三郎の振付作品において、ダンサーの身体は有機的な柔軟さや肉感と無機物の硬質さや脆さの間を自在に往復する。滑らかにしなる腕が瞬時に内側から硬化して鋼のように変わり、慌ただしく弾けるようなステップを踏む足は形を失って空気中に雲散する。人間の身体はまるで異なる物質と物質を錬金術的につなぐ不思議な媒質のように見える。身体を無機物(ガラス、金属、ガス)と激しく対峙させ、あるいは交感させることで、人間の内側に宿る非人間的なエネルギーを抉り出してみせるのが勅使川原のダンスなのだ、と要約することは許されるかも知れない。しかしこうした独特の表現が、当初は宮沢賢治や稲垣足穂などの文学世界と共鳴しながら生まれてきたという経緯を、今回の上演は改めて想起させもした。
タイトルは宮沢賢治『春と修羅』の中の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」にある、太鼓のリズムを模したと思われる擬音表現である。月明かりの高原で勇ましい呪術的な踊りに興じるミステリアスな村人たちの様子を描写したこの詩は、厳しい自然環境と戦いながら暮らす独特の風習と言語をもった人々、といったエキゾチックな「東北」のイメージを濃厚に湛えている。舞台空間は絶えず強風の音に満たされ、深い闇の中にわずかな光が鋭く差し込む照明とともに、寒冷な東北地方の気候風土の雰囲気が鮮烈に再現される。あからさまに演劇性を感じさせるこうした表現は、この時期の勅使川原作品の特徴といえよう。
筆者は初演を見ていないが、新旧の要素が混在していることは明瞭に見て取れた。初期のトレードマークともいえる、関節を直角に折り曲げた機械的なポーズや、パントマイムの技術を使って虚空に具象的形態を描き出す動き、そして何度も床に転倒しては起き上がる反復運動などが、近年の、体全体で空気をつかみながら滑らかに伸縮する流体的なヴォキャブラリーなどと同居している。ダンサーの下半身と上半身がそれぞれ過去と現在の勅使川原の振付を同時に踊っていることもあれば、かつての出演者たちとは異なり、長身で重心の位置も高い佐東利穂子のようなダンサーがリズミカルに床に倒れては起き上がる様子などは、それ自体が勅使川原の過去と現在のダイアログのようでもあった。
とはいえ20年の時を超えたこのダイアログは、単に一人の振付家の個人的な回顧には留まらない。勅使川原三郎と宮沢賢治が描き出す「東北」の景色は、今日の日本の観客にとって以前とはまったく異なる意味をもって立ち現われて来たからである。「東北」のイメージが、もはやあの大地震、津波、そして原発事故の惨事と分かち難く結びついていることを、観客は誰ひとりとして意識せずにはいられなかったはずだ。
軽やかに、しかし同じ場所で延々と踏み鳴らされるタップダンス。電動ノコギリの摩擦で背中の辺りから火花を散らして走り去る複数の人影。いくつも並んだ大きなガラス鉢の中で息をひそめる金魚たちの悠然とした姿と、暴風の中で転げ回る人間たちとのコントラスト。巨大な山猫と勅使川原三郎が交わす奇妙な対話。こうした暗く夢幻的なイメージを喚起するシーンはどれも初演時のままだが、近代科学と農業、仏教的世界観、そして芸術の創造性とを総合する宮沢賢治の文学の世界と、勅使川原三郎の美意識が見事に呼応しながら、2012年の東京という場での、言葉にならない言葉として何事かを語ろうとしていた。
日本文学者のグレゴリー・ガーリーは、宮沢賢治のエコロジー思想を、彼と同時代の環境思想家アルド・レオポルド(1887-1948)が提唱した「土地倫理(Land Ethic)」と類比し、両者の共通点を探り当てている(「宮沢賢治と美的モダニズムのエコロジカルな眼差し」(山本洋平訳)、『水声通信』第33号 特集 エコクリティシズム、2010年)。ガーリーによれば、レオポルドにとって「土地」とは人間を含む動物、植物、そして土壌がその一部をなすような「エネルギー循環回路」の総体である。
土地は単なる土ではない。土、植物、動物という回路を巡るエネルギーの源泉である。
食物連鎖はエネルギーを上方の層に送る生きた回路である。死と腐朽によってエネルギーはまた土に還る。つまりこの回路に
行止りはないのだ。
(レオポルド『野性のうたがきこえる』(新島義昭訳)、講談社学術文庫、336頁)
異質な諸存在、諸物質を貫いてエネルギーが駆け巡り、あらゆるものを連続させる。レオポルドのいう「土地」は、まるで有機体と無機物が親しく交流し、肉が金属に、空気が骨へと融通無碍に転換する勅使川原三郎のダンスを説明しているかのようでさえあるが、ガーリーはこの諸存在を貫く「エネルギー」という公分母への着目こそは、化学・物理学の知見と仏教的概念の調和を求めた宮沢賢治とも通じるモダニスト的世界観の要なのだと指摘する。「エネルギー循環」という新しい技術的概念によって支えられる、両者のホーリスティックな世界観と「環境主義の倫理」は優れて近代主義的なのである(ガーリー、157頁)。
「五輪は地水火風空
空といふのは総括だとさ
まあ真空でいゝだらう
火はエネルギー
地はまあ固体元素〔...〕」
(「春と修羅 第二集」異稿、『宮沢賢治全集I』、ちくま文庫、572頁)
しかしガーリーによれば、この「エネルギー循環回路」のイメージは、実は「離れた場所への作用という奇妙な能力をもつ電磁気の技術」を活用して組織化される「国家」のありようによって先取り的に具現化されてもいた。「〔宮沢賢治やレオポルドにとっては〕電力網、列車の時刻表、電信網から成る宇宙である産業国家そのものが、自然な相互関係の抽象モデルであり、かつその具体的な証拠として容易に理解され得たはずだ」(156-7頁)。つまり「国家」による国土開発とエネルギー網の実現こそが、「土地」における異質な存在者たちの結びつきと関係の倫理をめぐるエコロジー的想像力の根拠だったというのである。レオポルドや宮沢賢治の理想主義と2012年の我々を分かつ最も重要な論点がここにある。吉見俊哉が『夢の原子力――Atoms for Dream』(ちくま新書、2012年)の中で描き出した「発電国家」の構築過程を思い起こすまでもなく、これはもはや我々にとって陰鬱な皮肉としか響かない。
そのように見る時、東京芸術劇場における勅使川原三郎『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』の再演は、単に宮沢/レオポルド的な意味において異質な諸存在の連続性(つながり)を表してみせただけではなかったことに改めて思い至る。この上演が観客の眼前で展開してみせたのは、抽象的な「土地」のありようではなく具体的な「東北」のそれであり、そして「エネルギー循環回路」としての東北と東京のナショナルな連続性(つながり)ではなかっただろうか。ダンスを通して、土地、そして国家という重層的な「環境」がわれわれにとっての身体的なリアリティとして立ち上がってきた所に、このダンスのインパクトの根源があったのではないか。
ここにおいて、勅使川原三郎の作品が、サルドノの「そこにはどんな草が生えているか」という問いと響き合う。身体的なリアリティに足場を置きながら、どこまで大きな世界を映し出せるか、そうした想像力もまたダンスの孕む可能性なのである。
(i) 一例を挙げれば、スティーヴ・パクストンが「立つ」ことをダンスの零度として設定したのに対し、土方巽は「立てない」身体を問題にした。この差異は単なる個性の違いというより政治的・歴史的エコロジーの水準で測られるべきものだ。「身体」ないし「人間」なるものの普遍性を前提とするジャドソン教会派には「文化」の相対性の認識は稀薄だったが、日本では違った。1960年代における日本とアメリカという環境の差異、さらには、両者の関係自体がそれぞれにとっての環境だったのである。