劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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言葉と距離と


 われわれの抱える問題のひとつは、失語さえ発語出来てしまう、ということである。或いはこう言ってもよい。われわれは発語することでしか失語という体験を表現出来ない。それが「表現」でなければ、ただ黙っていればよい。そもそも失語とはそういうことだろう。だが、失語の沈黙を単なる怠惰や無為と見間違えられたくないとき、われわれはこう言うのだ。「わたしは言葉をなくした」と。このあからさまなパラドックスは、しかし殊更に糾弾されるようなことではなく、人間として、ごくごく当たり前の反応であり、よくあることであると言えばそれまでだが、しかし失語の発語という逆説を義務や権利と取り違え、そこに紛れもなくある筈のやむにやまれなさを忘却していったとき、その者は自らの「表現」に溺れ、胸を張って「わたしは言葉をなくした」と言い放ち言い募ることになってしまうだろう。ほんとうは戸惑いや恥辱を内に感じながら、それでもそう述べるしかない、ということであるのに、何かを言ったつもりになっているのだ。その姿は醜い。だがその者は自らの醜さを知らない。そうならないようにするためには、失語の発語という奇妙だが切実な行為を、そこに潜む意味を、何度となく問い返し、ただ発語しないという選択肢を折り曲げて、どうして「わたしは言葉をなくした」と述べないではいられないのかを、まず自分自身に対して、絶えず証明し続ける必要がある。もちろんその問いと証明のあり方は、一通りではないのだが。

 言葉に対する疑いは、誰にでもある。だがその疑い自体、言葉の助けによって為されていることなのだ、という言わずもがなのことはあるとしても、それだからといって疑いが無意味であるわけではない。いけないことは、さして考えもせず、試しも挑みもしないままに、言葉では表現出来ないものがある、と思い込んでしまうことであり、また同時に、言葉で表現出来そうにないものは、表現することが出来ない、と決めつけてしまうことだ。言葉の到達可能性と、その不可能性は、ひとりひとりにとっても、またわれわれやあなたがた、彼ら彼女たちにとっても、一本の固定された線で分たれているわけではない。走り幅跳びという競技があって、助走をつけて地面を踏みしめて思い切って跳躍し、宙から降り立った砂地に足跡が刻まれるのだが、研鑽を重ねることで、或いは運がよければ、自分の足跡は僅かずつでも先に延びてゆく。視線を向けると、誰か別の者が刻んだ足跡がずいぶん先に見えていたりもする。あそこまで跳べた者がいるなら、自分にも届くかもしれない。今は無理かもしれないが、いつまでも無理かもしれないが、だが実のところ半分以上は、跳べるかどうかよりも、跳ぼうという意志や跳べるかもしれないという希望の方が重要なのであり、つまりは跳ぶこと、跳び続けてみることに意味があるのだ。そんな素朴な真理と、言葉による営み/試みは、どこか似ている。言葉では言えないものがある、というのも、言葉で言えないものは存在し得ない、というのも、等しく間違っている。もしくは、その両方が同時に真理となるようなどこかに、われわれのするべきことがある。
 「ことばの彼方へ」。これが「フェスティバル/トーキョー12」のテーマだった。この言葉にかんして、F/Tプログラム・ディレクター相馬千秋が記した文章に、とりわけその最後の部分に、私は強い納得と共感を覚えた。それは「F/T11」や「F/T10」で同様に彼女が書いていた文章とは、比較にならないほどだった。肝の据わった、戦闘的とさえ言ってよい文章だと思う。ここに置かれている「彼方」という語は、誤解のなきように言い換えておくなら、無論のこと「今ここ」の別名なのだ。われわれは誰もが常に「今ここ」に縛り付けられている。「今ここ」からどうしても逃れることが出来ないという不自由を、如何に受け止め、造り変えて、逆転するか。そして「演劇」とか「舞台芸術」と呼ばれるものがやってきたこと、やろうとしてきたこととは、要するにそういうことではなかったか。そのためにはまず、相馬も書いているように、「今ここ」と、複数の、数多の「いつかどこか」との距離をはかることから始める必要がある。いやむしろ、そのような「距離」の計測それ自体が、作品になるのである。そしてその「計測」は、他ならぬ「ことば=言葉」と、語られるべき何かとの「距離」をはかることでもあるだろう。
 この意味でも、主催と公募のプログラムを合わせて、エルフリーデ・イェリネクの戯曲が四本も上演されたということは、特筆すべきことである。地点の『光のない。』、Port Bの『光のない II』、ヨッシ・ヴィーラーの『レヒニッツ(皆殺しの天使)』、重力/Noteの『雲。家。』。オーストリアのノーベル文学賞作家イェリネクは、邦訳も少なくないにもかかわらず、日本においては、海外文学市場においても、けっして有名な存在とは言えない。むしろマイナーな作家と呼んで差し支えないだろう。また、それも致し方なしと思えるほど、イェリネクの言葉は難解さをもって知られている。そんな彼女の時ならぬ特集上演の様相を呈したばかりか、四つの作品を併せた戯曲集がタイミングを合わせて刊行され、各劇場で相当な売れ行きを記録したというのだから、以前からイェリネクに関心のあった一読者としては、嬉しい驚きであった。翻訳を担当された林立騎氏と刊行元の白水社には、心よりの敬意を表したい。
 すでに別の場所でやや詳しく述べておいたことだが(「文學界」の連載「シチュエーションズ」)、イェリネクは日本を訪れたことがない。彼女は主にインターネットや新聞、テレビのニュース等から得た情報だけを頼りに、東日本大震災と福島第一原発事故をテーマとする二本の戯曲――「光のない。」「エピローグ?[光のない II]」を書き上げた。彼女の住むオーストリアと日本の「距離」は歴然としている。「未曾有」とも「想定外」ともいわれた、取り返しのつかないあの一連の出来事に即応して言葉を発したイェリネクの姿勢は、偉大な作家であるがゆえの想像力であるとか、地球の小説家としての義務感とか権利とか、そういった理解では及びもつかない衝動と切迫感を持っている。なぜウィーンから一歩も出ないオーストリア人の小説家が、敢て日本のことを書こうとするのか、という当然過ぎる問いは、まずもって彼女自身が自らに投げかけた問いでもあるだろう。しかし彼女は書いた。だとしたら今度は当然、なぜオーストリア人が書いた震災にかかわる戯曲を日本人によって日本で上演するのか、という問いが出て来ることになる。むろんこのことは海外の戯曲を上演する全てのケースについて言えることではあるが、しかしなぜ、日本の、東京の、舞台芸術の祭典であるF/Tで、エルフリーデ・イェリネクの「光のない。」や「エピローグ?」を、日本の演出家が、わざわざ上演するのか、という問いは、扱われている題材ゆえにきわめてクリティカルなものであり、かかわった者たち全員が引き受けなくてはならないものである。そして、地点の三浦基も、Port Bの高山明も、二人に演出を依頼した相馬千秋も、それぞれのやり方によって、この紛れもない「距離の問題」を真摯に思考し、彼らなりに真正面から答えてみせている、と私には思えた。そこには必然性はなかったかもしれない。だが、理由はあったのだ。上演に立ち会ってみれば、誰もが深く納得せざるを得ない、凛とした理由が。
 言葉と距離、このふたつのテーマは、他の演目においても、さまざまなやり方によって、問いと答えが応酬されていた。数ヶ月に及ぶリアルとネットでの散発的な「上演」を経て、本番では分厚いドキュメントブックと暗闇の中で長時間不動で佇む役者たちのみを提示したマレビトの会『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』の松田正隆、強度にナンセンスに見える展開の内に、われわれの「隣人」を徹底的に解体し尽くしてみせた岡崎藝術座『隣人ジミーの不在』の神里雄大、被災地への旅の中で二人の役者が書き留めたメモをそのまま台本とした『言葉』の村川拓也、どうしようもなく最低な生活をダラダラと送る若者たちを異様に淡々と描いたポツドール『夢の城 - Castle of Dreams』の三浦大輔でさえ、この傑作無言劇を数年ぶりに再演するという試み自体に、言葉と距離の主題がありありと窺えた。海外からの出品作も、ハンガリーのクレタクール『女司祭‐危機三部作・第三部』もイランのメヘル・シアター・グループ『1月8日、君はどこにいたのか?』もフランスのジャン・ミシェル・ブリュイエール『たった一人の中庭』も韓国のグリーンピグ『ステップメモリーズ‐抑圧されたものの帰還』も、作品にもともと内在する「言葉と距離」が、2012年の日本の東京で上演されることによって、更に増幅され、変調される結果になっていたと思う。実際、そこでは、外国語であるがゆえの字幕という条件でさえ、「言葉と距離」の問題提起になり得ていたのだった。
 よく知らないのだが、国際的なフェスティバルというものにも、大きく二種類の方向性があるのではないか。文字通りユニバーサルな空間として、世界中に散らばった複数の場の交点として機能し、「今ここ」であることをポジティヴに消失してゆこうとするベクトルと、あくまでも「その時その場」であることにこだわり、常に既にローカルであるしかない前提と向き合いつつ、そこに召喚される複数の時空間とのパースペクティヴを晒け出してゆこうとするベクトルと。F/Tがどちらであるのかは明白だろう。それは極東の島国という「距離」の条件、日本語という「言葉」の条件によるものではあるが、それだけではない。これは明確な意志に基づく選択だと私は勝手に思っている。そしてその選択は、結果を出しつつある。

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