F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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去る11月22日、にしすがも創造舎 (i) のグラウンドに大きな穴が一つぽっかりと口を開けていた。もともと耕作地であったように思われるその土地は手入れされることなく放置されていた。盛られた土の上にはシャベルが数本、ごろんと転がっている。そしていくつかの木箱、見たところコンテナのようなものが穴の横に無造作に置かれていた。わたしは最初、これはインスタレーションアートだろうと考えた。しかも、ごくありふれたインスタレーションだと。
韓国のグリーンピグが発表した構成・演出:ユン・ハンソルによる『ステップメモリーズ―抑圧されたものの帰還』の演出の一部となっていたこのインスタレーションには何一つ特別なことが無いように感じられた。ましてや、ジャン・ミシェル・ブリュイエールの作品と比べると違いは明らかであった。三週間前、ブリュイエールはにしすがも創造舎の体育館に巨大な真っ白いテントを張ったのだ。そのテントはまるで緊急の救急病棟のようだった。
中に入ってみると、高度な医療機器が目に飛び込んできた。何人かの役者が医者と看護師のような格好をし、部屋の真ん中で黒人の手術を行っていた。男性は白いふんどし一丁で手術台に寝かされており、年老いたその黒人はやつれて、つやが無く、目はとろんとして、まるで瀕死のように力無かった。その痛ましい眼差しを見ていると、だんだん彼はそのフランス人ドクターに治療されている患者などではなく、実は実験台のモルモットなのだという印象が強くなっていく。ブリュイエールの演目はリアリズム、差別、植民地主義の問題を強烈に訴えていた。
ユン・ハンソルによる掘られた穴のインスタレーションは、それとは逆に何も語っていないように感じられた。何か「噛み付き」が足りないように思えたのだ。しかし蓋を開けてみると私の認識は間違っていた。このインスタレーションは実はジャン・ミシェル・ブリュイエールよりも更に強烈な社会的メッセージを持っていたのだ。そのとき観客の一人となっていた私はグリーンピグの劇団員に連れられ、穴の前から体育館へと移動した。そこでは劇団の演目が全て韓国語で行われていた。そして体育館での上演中に、中に衣服でぐるぐる巻きにされた役者がいるコンテナが運ばれてきた。もちろんこれは拉致被害者のメタファーである。『ステップメモリーズ』は、朝鮮人同士の暗い戦闘の記憶の物語だった。現在、依然として韓国においてはこのテーマでの演目がタブーとなっている。私はシーンごとに手探りで意図を読み取っていった。
私が胸高鳴った劇的な瞬間は、外に掘られた穴との相関関係が予想だにしない形で現れた場面だ。それはとあるシーンの中で始まった。ある女優が突然、男優の集団にグラウンドに掘られた穴に向かって引きずり出された。その瞬間もスクリーンは外に掘られた穴を映し出していた。女性はそこに連れて行かれ、中に入れられてしまった。穴はなんと殺戮現場のメタファーだったのだ。
寒い夜に、男たちが土をすくっている姿が浮かび上がった。彼らはその女性の身体に土をかけた。女性の髪は土まみれになった。こちらからは埋められることを許容しているように見えた。そのシーンは穴の前に連れてこられたばかりの私たち観客を突き刺した。そして今、私たちは周りからその目の前で起こっている「暴力」を傍観することしかできない、無力な目撃者となっていた。先ほどまで何の意味も持たなかったその穴が、突然大きな意味を持って我々の目の前に現れたのである。
このシーンを見て、私の頭の中には一瞬にして我が国インドネシアで起こった悲劇が想起された。偶然にも私が働いているTempo Magazineで10月にAlgojo 1965(1965年の殺し屋)というテーマのレポートを書いたばかりだった。これは1965年に100万人以上のインドネシア共産党員(以下、共産党員とする)が虐殺された事件に関連した記事だった。
1965年、インドネシアで血が流れる事件が起きた。7人の将軍が誘拐され、殺されたのだ。軍は共産党員が実行犯だと発表した。ジャワ、バリ、スマトラ、スラウェシ、ヌサ・トゥンガラを筆頭に多くの地域で怒りが満ち満ちていた。軍の後押しもあり、多くの社会組織が報復を行った。彼らは共産党員であればだれかれ構わず追い回し、殺害した。
Tempo Magazineは殺し屋たちや、その当時殺人に加担していた人々にインタビューをすることに成功した。歳はすでに皆60~70歳。彼らは6ヶ月もの間、どうやって毎日のように共産党員を捜索していたのかを語り、共産党員が捕らえられ、連行される光景を思い出していた。その共産党員は全員整列させられた後、一人ずつ首を落とされていった。彼らの死体は深い谷や、川、掘った穴の中に投げ捨てられた。殺し屋たちは今もこの残虐な行為を後悔していないという。何故なら彼らにとってこれは国家任務だったからだ。彼らは共産主義者を、インドネシアを危険に晒す脅威だとみなしていた。故に現在までインドネシア政府は被害者遺族に謝罪を行おうとはしていない。政府によれば、当時の大量虐殺は、その前にインドネシア共産党が行った残虐行為に対する社会の自然発生的な感情のオーバーフローだったと認識しているためだ。
観客に己の経験を想起させることができた時点で、この上演は成功だったと言っていいだろう。女性が埋められたこのシーンから、私はアジア各地で起こる暴力を再び考えた。韓国は実は、インドネシアと同じような悲劇を体験していたのだ。このシーンはインドネシアで共産党員を殺害した殺し屋たちの話とまったく同じだった。ユン・ハンソルの公演はこのフェスティバル/トーキョー(以下、F/Tとする)の中で唯一強烈な政治的メッセージを放つ作品だった。この作品の成功は、我々が全く思いも寄らない方法でこの政治的悲劇を提示したという能力によるものだった。
F/Tとは演劇表現の新しい形を希求している祭典だと私は考えている。数年前のF/Tのキュレーションでは、このフェスティバルは演劇の本質を問い直したいという願望が根底にあるとしている。演劇とは何か?ダンスとは何か?演劇・ダンスとパフォーマンスの間には未だに境界が必要なのだろうか?そしてそれは芸術と呼べるのだろうか?
その意味で、このフェスティバルは演技の面でも公演の面でもユニークであったり、急進的なコンセプトを持っている団体にチャンスを与えている。マンネリ化した演劇の形に疑問を呈すような概念。このフェスティバルはオルタナティブな空間を使う芸術家を応援している。それは建物の中でということだけでなく、特有の場所であったり、公園、あるいは建物の中であったとしてもいわゆる普通ではないデザインを施したものなどである。それどころかキュレーションにあたって、このフェスティバルは「この公演は演劇か否か」と観客が戸惑うような作品にチャンスを与えるとまで述べている。つまり、このフェスティバルは自らを、まだ発見されていない道を開拓していこうとする作品にとっての実験室だと位置づけているのだ。これこそアバンギャルドの本質であろう。さらにアジアの作家に対して門戸を開いているという点が、このフェスティバルをさらに面白くしている。アジアの舞台芸術は西洋のそれに決して引けを取らないのだという信念がこのフェスティバルの興味深さを支えているのである。
今回のF/T12のキュレーションは、津波による大惨事、そして福島の原子力発電所の放射能漏れと関連付いていた。わたしはこのテーマに芸術的に応える公演が数多くあることを望んでいた。驚愕し、想像もできぬ、他とは一線を画すような、恐怖や衝撃的なパワーを持った作品を。
だが、私のこの期待値が完全に満たされることはなかった。主催プログラムで見たいくつかの公演はそれほど私に「干渉」してくるようには感じられなかった。例えば、マレビトの会 の『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』だ。この作品は、にしすがも創造舎で上演された。この集団はジャン・ミシェル・ブリュイエールやユン・ハンソルらと同じように、いくつかの部屋を使用する形態だった。この集団はタイトルの通り、津波被害者とアンティゴネー、つまりギリシャ神話の悲劇の被害者になった者と津波被災者をパラレル化していた。しかし問題なのは、私が公演の中でまったくアンティゴネーを想起できなかったことである。そのパラレルはどこに配置されていたのか?アンティゴネーを匂わせるようなシーンは最後まで現れなかった。
にしすがも創造舎の3階で、マレビトの会は三つの教室を使っていた。教室には誰もおらず、観客は椅子に座ることが出来るようになっていた。それぞれの教室に一本のテープがあり、そのテープからは日本語の会話や文章が聞こえてくる。観客は座ってサラウンドエフェクトがかかったそれらの会話や文章を聞くのだが、日本語がわからない人は机の上に用意されている翻訳を読むことができるようになっていた。
聞こえてくる言葉は漁師、少女、年寄りなど福島県民の目撃証言だ。内容は車が水に浮いてしまった話や、沈んでしまった家の話、死んでしまった犬の話などである。これらの話が半ばシュールに描かれている。すべての言葉はマレビトの会のメンバーが福島の津波から無事生還した人へのインタビュー形式で収集されている。この作品は悲劇のセンセーションに対して詩的、幻想的な効果を与えたがっているように感じられたが、それにしては被災者の声のインスタレーションにインパクトが欠けていた。
これは、同じくにしすがも創造舎で上演されたジャン・ミシェル・ブリュイエールの作品とはまったく異なっていた。彼は収容所を模したテントを建てただけでなく、他にもかつて家庭科室や理科室だった部屋を使用していた。その旧家庭科室へ入った途端、わたしたちははっと息を呑む。その部屋には高温の蒸気が充満させてあったのだ。机の上の卵から出ているものから、オーブンの中から洩れているものまで様々な蒸気が吹き出していた。
それと共に何メートルもあるような大きな風船、巨大ないも虫のような風船が不規則に部屋の隅々から出たり入ったりしており、その他に窓から飛び出していたり、机の上で輪を作ったり、オーブンにこびり付いたり、床に転がったりしていた。さらに旧理科室ではすべての蛇口、電話、ベルなどが独りでに動いたり、鳴ったりしていた。それはまるで幽霊のオーケストラ演奏を見ているかのようだった。蛇口からはそれぞれ異なった勢いで水が流れだしており、これらも含めてすべてが楽器のようで、視覚的にも聴覚的にも非常に驚かされるものだった。
東京芸術劇場プレイハウスで上演されたヨッシ・ヴィーラー演出の『レヒニッツ (皆殺しの天使)』もまた非常に心を魅了される作品だった。この公演はF/T12において、最も賞にノミネートされた作品の一つである。演劇やオペラの演出家として知られるヨッシ・ヴィーラーは、オーストリアの作家で第二次世界大戦中時のユダヤ人虐殺についての小説を書き、ノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクの戯曲を使っていた。三人の男性と二人の女性が舞台に立ち、それぞれが見聞きしたことを語り合うのだが、興味深かったのはこの情報の伝え方である。
彼らはそれぞれ木製のドアパネルを背にして座っている。ガウンを羽織り、エレガントなディナー用のジャケットを着て、まさにこれから夕飯を食べようかという装いである。そして、一人ひとり語り始める。やがて、親密な会話になると、彼らは床に座り、熱く語り合い、呑み交わし、よごれた室内着だけで陽気に話し始める。そのがさつな振る舞いから、彼らのスタイルが田舎染みた汚いものへと変貌していく。殴りあったり、腕を舐めたり、足を開き下着を見せ始めるものまで現れる。それと同時に背後にあったドアも次々とその姿を変えていく。グレードの高いバーの扉だったものが毛皮や衣服がぐちゃぐちゃに詰め込まれたクローゼット、フォーマルな衣服がかけられたクローゼットへと変わっていった。その蛮行にうんざりし始めたとき、私は彼ら自身の中に傷心的な、とても正気ではいられなかった感情をみるのである。
他方では岡崎藝術座の『隣人ジミーの不在』や、村川拓也の『言葉』のような日本の演劇作品もある。この二作品には極端にシンプルな演劇に立ち返ろうとする傾向が見て取れた。私はこれを「極端なリアリズム」と名づけているのだが、つまり演劇における演技や会話を現実の日常と同じようにしようという試みの一種である。役者はメイクをせずに舞台に立ち、ドラマティックな演技は一切無し。動きも無ければ、大げさなジェスチャーも、ブロッキングも無い。会話においては母音を伸ばしたり、あからさまにはっきりと発音したり、大きなイントネーションの変化やアーティキュレーションも無いといった具合だ。
例えば『言葉』という作品。まず男性と女性が日常会話をしている様子が見える。彼らは津波被災者を救出した経験を語り合っている。そして画面には彼らが道中に見た被災地の印象的な写真のスライドが流される。彼らの顔は楽しそうだが、観客は痛みを伴う思い出を見せられたという気分になる。スライドには言葉では言い表せない事柄が多く込められていた。日常に極力近づけるという原則の下で演技を行うという概念「静かな演劇」を生み出した存在として日本では有名な平田オリザの影響がここでは大きく作用していたように思う。
これらいくつかの公演を見ていると、ここかしこに既存のリアリズムから抜け出そうとする思考を見て取ることが出来た。通常、リアリズムを嗜好する公演では俳優がストーリー上のシチュエーションにその身を置き、自己ではないキャラクターでフィクションのストーリーを演じる。俳優はその話の登場人物になりきるのだ。しかし私が見た公演からはアンチレプリゼンテーションの傾向が伺えた。舞台上でストーリーは上演されず、俳優は自己ではないキャラクターにはならず、とある誰か、とある何かのような登場人物にもなっていなかった。
彼らが見せたのは誰か他人の身体ではなく、彼ら自身の身体を観客に提示するハプニングアートの身体表現に寄った演劇だった。舞台上の彼らの身体はその瞬間もまったくフィクションな存在ではなかった。私が見た公演のあちこちに各々の解釈でリアリズムの意味を拡大していこうとする演劇グループの試みが見て取れた。私はこのリアリズムの解釈拡大の試みを、ポスト・リアリズムへの探求であると考えた。
私が最も衝撃を受けた作品の一つは三浦大輔作・演出の『夢の城 - Castle of Dreams』だ。この作品は8人の男女の若者がとあるアパートに共同生活をしているところから話が始まる。彼らのアパートはよくあるアンダーグラウンドの若者の住処として描かれ、部屋には所狭しとラスタのような反抗のシンボルやアニメやコミックのような世界共通のアイコンが貼られている。この作品はこのアパートで、ある朝からあくる日の朝までの日常を提示する。彼らがする事といえば、ビールを飲み、ゲームをし、喧嘩し、口論し、セックスをすること。セックス、セックス、そしてセックスである。
セックスのシーンもあけすけに提示される。乱交だ。そこかしこで8人の俳優たちが半裸で胸などを露にしている。彼らは互いにまぐわり合う。誰かの体から、また誰かの体へ。トイレで小便をし、出てきてまた上に圧し掛かり、互いに重なり合っている。場はこの様にカオスである。セックスをした後はゲームをし、インスタントラーメンを食べ、酔っ払い、喧嘩をし、リモコンを奪い合い、嘔吐し、また暴力的な性交を行う。私たちは強制的なセックスにより力を使い果たした身体を見せられることとなる。力ない身体はふらふらと、眠りに落ちてしまう。ところが、起きた途端にまたセックスが始まるのである。セックスのシーンはすべて本当に行為が行われているように見える。それどころか、男優の射精や女優の潮吹き、つまりオーガズムに達し、液体を噴出しているかのように見えるのだ。そしてこの公演は10日間続く。それはつまり、10日間毎日のようにこの光景が繰り返されることを意味する。
この公演を見てショックを受ける者が少なからずいるだろう。まず間違いなくインドネシア、マレーシア、シンガポールやタイといったアジア諸国でこの類の公演を行うことは難しい。私のウクライナ人の友人はこの公演を見て、ウクライナにこの公演を呼ぶとしても間違いなく大論争になるだろうと語っていた。
私自身、数ヶ月前にジャカルタのサリハラシアターですべてのダンサーが裸という公演を見る機会があった。カナダ出身の振り付け師ダニエル・レヴェイエの"Amour,Acide et Noix"という作品だった。三人の男性ダンサー、一人の女性ダンサーが一時間、舞台に上がって一分以内からずっと裸なのだ。彼らは無表情で、身体中の全筋肉を駆使し、汗が吹き出るような動きを繰り出しており、ジムナスティックのスキルが必要なバレエのシーンが展開するたびに、乳房や男性器が揺れていた。
この公演は確かに全編通して裸だったが、衝撃的ではなかった。そして一切エロティシズムを想起させることはなかった。それどころか、いくつかのシーンでは例え彼らが服を着ていたとしても、演出上とくに変わり無いのではないかと感じさせるところまであった。ある批評家は、何故彼らは上映中ずっと裸でなくてはならなかったのかと疑問を呈していた。やはり『夢の城』とは違う。私たちは俳優があのように急進的にリアリズムを追及していく勇気に驚いているのだ。その追及は女優がオーガズムに達して遠くまで潮を吹くシーンから、野生的な雰囲気、混乱、無秩序、パニック、感情的、そして尽きること無きセックスへの欲望、異常なまでのエロティシズムの表現と言うところまで及ぶのである。
一切セリフがない公演というのは、人間の感情を引っ張り込む力がある。どのような形にせよ必ずトリックはあるのだと分かっていながら、やはり突発的に思えるようなシーンがいくつもあった。演者のブロッキング、出はけ、性交の位置とバリエーション、前から直接的には見えないが、緊張感を保っている性交のシーンも全て当然、三浦大輔の手に握られているのだ。
私はこの公演の功績は彼が、日本のサブカルチャーに属する若者とはどのようなものなのかということを描き出した点にあると考えている。ビデオゲームがどのように若者を支配しているのか。例えば、東京は私にしてみればパチンコの街である。どこにいっても24時間、東京の隅々までパチンコ店がけばけばしく光り輝き、中はギャンブラーで溢れている。老いも若いもパチンコ店へと駆け込んでいく。『夢の城 - Castle of Dreams』ではセックスを通して、ゲームをすることとその中毒性が如何なるものであるかを提示しているのだ。
俗に言うリアリズムというのは、日本の美学においては決して目新しいものではない。この公演は例えば春画、つまりエロチックに描かれた浮世絵のようなものを想起させるのだ。江戸時代から侍が芸者と性交している様子が、ペニスもヴァギナも誇張して描かれているものである。
この公演を見ているとまた、村上春樹氏の小説ノルウェイの森に出てくる永沢を思い出した。永沢は非常に聡明、端正な顔立ちの大学生で毎日のようにカフェで知り合った数々の見知らぬ女性とセックスを繰り返していた。毎晩、新宿、渋谷など日本の夜の中心地をうろついている。セックスしたい女性をカフェで探しては、ホテルで一夜限りの関係を持っていた。彼は空しくなりながらも押さえることができずにセックスを繰り返す。「もし君がその空しさを感じることが出来たら、君は普通の人間であり、それは喜ばしいことだ。見ず知らずの女性と寝続けるという行為は何も生み出さない。手にできるのは疲れと自己嫌悪だけだ」と永沢は言っている。
私はこの永沢のセリフこそが『夢の城 - Castle of Dreams』のラストシーンの心情を代弁しているように思う。ラストでは、一人の演者が裸で立っている。他の友人たちはセックスの疲れからごろりと転がっている。彼はリモコンを探して、テレビの電源を入れる。画面が風に翻る日本の国旗を写し、日本の国歌である君が代が流れる。彼は黙ってその旗をしばらく見つめている。その姿はどこか悲しげに見えた。この瞬間、野生的な若者たちが抱える空しい心情を感じ取ることが出来た。本当にこのシーンは一つの皮肉であり、自己批判であり、社会批判である。しかしそこにこそ、この作品の衝撃度がある。『夢の城 - Castle of Dreams』は主催プログラムにおいて最も私に「干渉する」作品の一つであった。
公募プログラムの作品も、主催プログラムでの作品にまったく引けを取らないくらい興味深かった。このセクションには多くの「おもしろい」アイデアが散らばっていた。シアターグリーンのBIG TREE THEATERで行われたダニエル・コックの『ゲイ・ロメオ』というシンガポールからの作品がその一つである。これは本当に知的で正直なリアリズムだと私は感じた。ダニエル・コックが舞台に一人で現れる。彼が提示したのは演じる作品ではなく、彼自身の日常に関する話だった。
まず彼は、何十冊という小さな本を観客に配布した。その本の中身は日記だった。その中で彼はゲイで、最近インターネット上でゲイ・ロメオという名のサイトの会員になったと語られる。このサイトの拠点はベルリンにあり、ゲイ・ロメオとはデートサイトである。ゲイであれば入会することができ、出会いや面会の約束を取り付けることが出来る。ダニエルは40人の男性と如何にして出会い、体の関係を持ったのかを語っていく。各男性に相対し、セックスをしたときのエロティックな感情が日記に綴られている。
このような日記が観客に配られ、舞台上のダニエルは机に座り、ノートパソコンを開き、画面を観客席に向けている。そしてある数字を打ち込んで画面に表示させ、観客にその数字のページを開くよう指示する。打ち込まれる数字は不規則で、彼は数分間その開いたページを読む時間を観客に与える。
冒頭から、ダニエルは公演の中で観客をアクティブな存在として扱っている。毎ページ、異なる男性と相対するダニエルの経験とファンタジーを読むことができ、その言葉は詩的だ。体臭や男性器の大きさ、コミュニケーション能力、神秘性などそれぞれの男性がそれぞれの特徴を持っていることが説明されている。観客はダニエルによって強制的にエロティックな本能の中に引きずり込まれる。観客が指定されたページを読んでいる間、ダニエルは机の上で小さなものを触って遊んでいて、それが画面に拡大して映しだされる。例えば、観客がとあるセックスのシーンを読んでいるとき、彼はにんにくの皮を剥いていた。にんにくとセックスにどのような関係があるのかは不明だが、奇妙な感覚を与えたことは確かだった。
面白いのは、ダニエルのデートが日記の中だけにとどまらないことだ。ダニエルは観客をもデート相手のターゲットにしてしまう。公演の中盤、ダニエルは突然立ち上がり、ホテルの部屋でTシャツを発見したという話を始める。そのTシャツはまだとても綺麗なので、観客の一人にプレゼントしたいと告げる。そしてTシャツが欲しくなったら、この上演後とあるカフェで話しながら夕食を取ろうと誘うのだ。
ダニエルの公演は単なる公演にとどまらず、現実的な出来事となっている。この上演後、もしかすると彼は観客の中から新たなデート相手を得て、セックスまでしてしまうかもしれないのだ。私はダニエル・コックが舞台上で、「ほとんどのお客様はこの上演を知的に楽しんでいると思いますが、一方で性的な魅力を感じていることもわかっているんですよ」と言っていたのを覚えている。彼はそのあとすかさず一本の糸を引き伸ばし、その糸を自分の太ももや身体に巻きつけ、「だれか、この糸をほどいてくれないかしら?」と甘い声で誘惑していた。
公演の終盤にはダニエルが服を脱ぎ、ショーツ一枚で胸をあらわにしていた。その身体はアスリートのように素晴らしい。舞台上には一本のポールダンス用の棒、鉄製で通常ストリッパーが夜のクラブで使用するようなものが設置してある。予期せぬことに、ダニエルは物凄い技術でポールダンスを踊ることができたのだ。彼は難しいポジション、つまり頭を下にして足はポールに添えているだけのように見えるポジションをも難なくこなしていた。
見たところ、ダニエルのありとあらゆる筋肉が盛り上がっており、滴り落ちるほどの汗が身体を輝かせていた。彼は故意に身体の美しさや男性らしさをアピールしているように見えた。大多数を占めていたであろうストレートの観客にとっては、この光景からストリップダンサーが夜の生活の中で行う動きのボキャブラリーが、実は至って真剣なコンテンポラリーダンスに通じているのだと気付かされたはずである。しかし、ゲイの人たちにとってはこのシーンが間違いなくある種の刺激を伴って見えていたであろう。この公演自体はゲイの世界が如何にしてグローバルな世界になりうるのかという点を観客に目に見える形で提示することができていた。そしてゲイの人たちがどのようにこの世界に織り込まれ、国際的な交流の中で生きているのかも可視化されていた。
三野 新の『あたまのうしろ』という作品もまた興味深かった。一人の写真家とモデル。舞台上には照明器具と花の絵をバックに写真を撮るための背景スクリーンが見える。写真家はモデルと共に現れるが、撮影は常に失敗する。この作品は元来、写真家とモデルの関係は容易ではないのだということを表現している。写真家と撮影対象との関係は、ある種の支配関係ではなかろうか。
私はこの公演を見ていて突然ロラン・バルトやスーザン・ソンタグによって指摘されていた写真界の問題がどのようなものだったのかを思い出した。ソンタグはカメラのレンズとは男性器のようなものであると述べた。ファッション写真の作品はしばしば女性を商品化しており、それらの作品は女性の身体を覗き見の対象と位置づけている。ソンタグはファッションの写真家は覗き見の文脈から外れたイノベーションに取り組み始めるべきだという見解を示していた。
『あたまのうしろ』の核となるのは、メディアとしてのカメラという問いだ。同じ事をファン・スヒョンとイム・ジエという二人の韓国の振付家が取り上げていた。彼女たちは『Co-Lab:ソウル―ベルリン』というタイトルの作品を上演し、インターネットにおける無料のコミュニケーションツールとして知られているSkypeでの現象を描き出そうとした。互いに国を越えて、安い料金で、さらにウェブカムを使えば直接互いに顔を見ながらコミュニケーションを図ることができる。『Co-Lab:ソウル―ベルリン』はソウルとベルリンにいる友人同士がSkypeを通じてコミュニケーションを取るというストーリーである。接続が悪くなるとコミュニケーションが絶たれてしまい問題が発生するが、これこそ作品が探求していたことだと言える。二つの作品はカメラやウェブカムの世界が単なる公演の補助道具ではなく、まさに問題とされる対象そのものなのだと主張している。
唯一、古風な世界を屋外公演として行ったのが池袋西口公園で上演されたシアタースタジオ・インドネシアの作品『バラバラな生体のバイオナレーション! ~エマージェンシー』である。七人のシアタースタジオ・インドネシアの俳優がそれぞれに竹を持っている。彼らは観客の前でそれを組み立て、各々組み立てた竹を一つ、また一つと互いに組み上げていく。すると、最終的にはとある形になる。これはある種の活動演劇である。すべての活動が観客に晒される。演者はドラマを演じようとしているわけではない。彼らはプロセスを決して隠さないのだ。起こったことは起こったことだ(古いスンダ語でKun fayakun)という意味の「サカロバ、サカロビ」という言葉を全員で唱えながら、彼らは竹を組み立てていく。
シアタースタジオ・インドネシアの演者の手に握られた竹は、三角から花のつぼみへとその形を変えていく。竹が一つの軸をもって組み上がり、多くのスポークを持つ180度回転可能な物体になると、公演に緊張の瞬間が拡がっていく。六人の演者がそのスポーク付きの物体を激しく回転させる一方でオトン・ドラヒムという俳優は軸の上に立つ。彼は指導者としてこの危険な共同作業の全てを率いていた。身体の動きとしては、竹が回転するのと反対方向に動くことになる。
クライマックスにはその竹を転がしたり、乗ったり出来る風車や巨大なプロペラになり、オトンがその頂上に到達する。一度でも足を滑らせれば大惨事になる危険なシーンである。オトンのいる高さから小さな竹に触りながら下に滑り降りると、竹は物凄い破裂音のような音を立てる。この作品の上演からシアタースタジオ・インドネシアは、身体とは如何にして集合的に協力し災害に立ち向かうのか、あるいは如何にして農耕民族の身体が想像もできない何かを予期することが出来るのかということを見せようとした。
毎回心配だったのは、この公演は失敗の可能性が極めて高いことだった。少しでも演者が気を抜いたり、集中していなければしっかりとした軸の上に組み立てられなくなり、結果、組み立てたものはばらばらに壊れてしまう。竹の強度も予期できなかった。竹は強く踏むと折れるし、ひびが入ることもある。バンテン州のスランで幾度となくシアタースタジオ・インドネシアの稽古を見ているが、いつもとてもハラハラしていた。池袋の公園でシアタースタジオ・インドネシアは三回の公演を行ったが、私は最後まで恐怖感を拭い去ることはできなかった。気を付けて!危ない!もしかすると竹が折れるのではないか、もしかすると軸を止めている縄がほどけてしまうのではないか、もしかするとオトン・ドラヒムが掴んでいるあの竹が彼を支えきれないのではないか、ましてや日本の竹のサイズはインドネシアのそれと比べて小さかったし、三日間その竹を使用し続けなければならなかったのだ。
しかしそこにこそ、この作品のドラマツルギーが設定されていた。この見せ物は緊張の連続だ。何故なら、彼らが組み立てた建造物は観客の目の前で折れて、壊れ、崩れ落ちる可能性があったからである。この見せ物は道半ばで失敗に終わってしまうかもしれないと言う状況のによってアドレナリンの引き金を引かれているように感じる。「エマージェンシー」という言葉は演者の中に存在するだけでなく、観客にも体感してもらえるものだった。
中国のリー・ジエンジュン演出の新青年芸術劇団『狂人日記』はまた示唆に富んだ作品だった。この作品は中国の有名な文学者、魯迅の小説に基づいている。演者はそれぞれ石を持って舞台に上がる。その石は人間の頭蓋骨のイディオムだ。彼らはそれを持ち上げたかと思えば、舞台に投げつけた。本当はこの演出は石の投げ方がきちんと揃わず、無秩序に、粗雑にすればするほどエネルギーを持つものだったが、このシーンでの石の投げ方はあまりに注意深すぎた。それは恐らくこのシーンが舞台上で行われたことに起因する(彼らが公演を行ったのはあうるすぽっとであった。)私はこの公演は屋外で行った方がもっと爪痕を残せたのではないかと思う。公演が屋内で行われたことで狂人の要素から野性味が抜けてしまった。作品中の狂人が表現する狂気はまだ正気の範囲に留まってしまっていた。
一方、台湾のホアン・スーノン作・演出のアゲインスト・アゲイン・トゥループの作品『アメリカン・ドリーム・ファクトリー』に関しては、キャピタリズムに対しての批評をしたい。作品中にはマクドナルドのキャラクターであるドナルド・マクドナルドが登場するが、残念なことにそのキャラクターはとくに深く掘り下げられることはなかった。登場は単なる飾りでしかない。まったくアクロバティックな動きもしなければ、おせっかいなこともしない。彼らのキャピタリズムの批評はありきたりだった。
演劇とダンスで合計11の団体が公募プログラムとして上演したが、審査員は最終的にシアタースタジオ・インドネシアをアワードに選んだ。彼らはシアタースタジオ・インドネシアがある種スピリチュアルでありながら、アバンギャルドな公演を行うことがきる集団だと評価した。これで来年、シアタースタジオ・インドネシアは主催プログラムで上演する権利を獲得した。シアタースタジオ・インドネシアの主宰であるナンダン・アラデアはF/Tから多くの学びを得たことを認めている。深夜までに及ぶ池袋サクラカフェでの作家との会話、いくつもの舞台の観劇とフォーラムへの参加を重ねる中で、まだまだ作品に不足しているものがあると感じたようだ。観客は竹のヴィジュアルを楽しんでいるだけで、その中で伝えようとしている社会的なコンテクストまでは理解していなかったと彼は感じているのだ。
その点から、来年の公演は歴史の香りがする作品をイメージしている。彼はカラン・アントゥの港を研究する計画を立てている。カラン・アントゥとはスランに実在するとある港のことで、16世紀、この港は国際的に栄える港だった。かつてこの港にはポルトガルやスペイン、オランダといった国の船が停泊し、バンテンの粒コショウを積み込んではヨーロッパへと輸送していた。その当時、バンテンの粒コショウは世界で最も質のいいコショウで、ヨーロッパのコショウ市場はバンテンのコショウで独占していた。
カラン・アントゥの港は現在、放置され荒れ果てている。この港はもはや貧しい漁師の港となってしまっている。しかしその場に立ち、かつてどのようにこの港が栄えたのかと想像を巡らせてみると、繁栄の残り香が確かにそこかしこから漂ってくるのだ。
ナンダンはもう使わなくなった漁船から古い木材を集める計画を立てている。彼は船の一部として使い古されたその古木材を使ったパフォーマンスを思い描いている。さらに、かつてヨーロッパを席巻したコショウ、あるいはそれに代わる香辛料を使うこともイメージしている。さらにナンダンは観客と対話型の公演を考えており、「船を日本に持ち込むことを考えているんです。その船を観客と共有し、対話の礎とします。どうやってそれを実現するかはまだわかりませんけどね・・・」とのことである。