劇評

F/T11

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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災難競争の時代、まさに再現戦略

キム・ナムス

 映画《Hiroshima, Mon Amour》で男性の主人公がアドバイスするように、外から来た人の感覚には許されることと許されないことがあります。即ち、すべてを見ても、見なかったことになるかもしれないということです。許されたことは目に見えるが、それがすべてではないのです。許されなかったものを見るということは、再現されたものを超えて再現されなかったものと一緒になるということです。

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재앙 경쟁의 시대, 바야흐로 재현 전략

김남수

1.
<히로시마, 내 사랑>에서 남자 주인공이 충고하듯이, 바깥에서 온 사람의 감각에는 허락되는 것과 허락되지 않는 것이 있습니다. 즉 모든 것을 본다고 해도 보지 못한 것이 될 수 있다는 뜻입니다. 허락되는 것은 눈에 보이는 것이지만 그것이 전부일 수는 없습니다. 허락되지 않은 것을 본다는 것은 재현된 것을 넘어서 재현되지 않은 것과 함께 한다는 것입니다.
메를로-퐁티는 "보는 것은 곧 사는 것이다" 라는 말을 한 적이 있는데, 이는 본다는 것이 곧 신체가 그 체험의 영역에 개입한다는 의미입니다. 어떤 예를 들 수 있을까요. 가령, 히지카타 타쓰미가 죽음의 심연에서 마치 타버린 신체를 일으켜 세우는 그 섬광 같은 한 순간을 생각해봅시다. 그 장면을 본다면, 우리는 그 순간을 함께 산다는 식으로 메를로-퐁티와 거의 같은 말을 할 수 있습니다. 그것은 놀라울 정도로 언제나 그렇습니다. 그것은 더 이상 신비주의가 아니라 실재입니다. 사실 이 부토의 창조자는 히로시마의 탄화된 신체로부터 비인간의 생명력을 호출하여 인간의 영역으로 출현시켰다고 봐도 과언은 아닙니다. 죽음과 삶, 보이는 것과 보이지 않는 것, 암흑과 한줄기 내면의 빛, 느림과 내재된 역동 같이 끝없이 간극을 낳을 수밖에 없는 대칭성의 구도는 그의 부토가 지금까지 우리에게 호소하는 힘입니다.
어쩌면 저는 페스티벌 도쿄에서 그런 것을 원한 것 같습니다. 그런데 이러한 욕망을 갖게 된 것은 주관적인 상상이 아니었습니다. 이 행사의 예술감독 치아키 소마 씨 덕분입니다. 그는 2011년 봄의 서울에서 만났을 때, 의미심장한 이야기를 했습니다. 아래는 그 당시의 기록입니다.

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舞台芸術の最先端、災難のカオスを再現するー日本の代表的なダウォン芸術フェスティバル、Festival/Tokyo

ソ・ヒョンソク

フラッシュバック1

今村昌平監督の「カンゾー先生」の最後のシーン。職人精神で一生を生きてきたある島の医者が、自分を愛する女性と舟遊びに行く。突然海の向こうから第二の太陽が上がる。この奇妙な何かが歴史を変えた原子爆弾であるということが知られないまま、映画は幕を閉じる。(この映画はこのシーンの直前まで物語の背景が1945年だということははっきりしないので、赤い光は観客にも突然のことである。)無知の重さは一生守ってきた知性と熱情を空虚なものにする。「歴史的な現実」は皮膚と感覚を占領しながら一瞬で日常に浸透するが、相変わらず理解されないばかりだ。

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アジアにつながるF/T:非日本語圏の外国人からの視点

パウィット・マハサリナンド(タイ)

 1994年から2006年の間、私が日本を訪れたのは、バンコクからアメリカへ渡る途中に乗り換えで成田空港に降り立った程度のものだった。私のトランジットは、出発ゲートにいるタイ人女性と恋に落ちてしまうくらいに、頻繁なものだったのだ。日本語が理解できない限り旅をすることは難しいと耳にしていたし、円高のおかげで私の貯金にも大きな影響を及ぼしかねないうえ、ガイドツアーも楽しめたことがなかったこともあり、日本へ行くことを躊躇していた。

 それ故、日本の演劇は国際交流基金(以下JF)がタイへ持ってきた作品くらいしか観たことがなかった。JFがバランスよくトラディショナルなものとコンテンポラリーな作品を紹介してくれたことは、タイの演劇好きにとっては幸運なことだった。JFの予算は限られたものだったにもかかわらず、その時我々は歌舞伎と落語、そして平田オリザと野田秀樹の作品を観劇することができたのだ。とにかく、劇場やテレビの世界でプロとして働く私の元教え子たちは、平田オリザのワークショップに参加し、そこで学んだことを未だよく記憶している。そして後に、大学にあるブラックボックスシアターで上演された『東京ノート』を観劇しているのだ。同様に、タイの演劇好きや批評家たちの多くも野田秀樹の『赤鬼 タイバージョン』をここ10年来のベスト作品として評価している。

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Cross-Border Intellect: At a New Journey's Start

Naoto Moriyama


The F/T Emerging Artists Program greatly expanded in 2011, opening its gates for the first time to the rest of Asia and receiving some eighty applications. The final Program consisted of four international and seven domestic groups; the first thing to be recognized at the launch of any discussion is that it was likely the part of the Festival this year with the highest risk and also a real cultural investment.

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国境をこえる知性――あらためての「旅のはじまり」に際して

森山直人

 F/Tの「公募プログラム」は、2011年から大幅に拡充された。はじめて門戸を開いたアジア諸国からは80組もの応募があったという。結果的に国外4組、国内7組による開催となったこのプログラムが、おそらく今年のフェスティバルの中で最もリスクの高い実験であり、文化的な投資だったであろうことは、まずは議論の出発点として認識されるべきだろう。どんなに個性的な作品が出そろったとしても、日本国内で無名のアジアの若手作家の作品に、残念ながら集客的には期待できない。その目標は、必然的に、「いま、ここ」よりも「未来」に向かわざるを得ないのだ。したがって、このプログラムが対峙しなければならないのは、近未来の舞台芸術であり、近未来の世界であると考えることができるだろう。今回上演された11組の作品は、総じて野心的で刺激的な作品が揃っていたことは間違いないが、問題をそこだけに限定しては意味が半減してしまうのである。

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人生とはリハーサルスタジオであり、演劇とは第二の自然である −Festival/Tokyo11

コン・イーウェイ(台湾)

 F/Tサロンで捩子ぴじんは、普段コンビニで働いているときは自分の作品のリハーサルを行っているようなものだと語った。彼は社会と人生を一種のリハーサルスタジオ、または、リハーサルという非現実的な場とみている。私はその時、日本は演劇国であるという見解を提示した。

今回、F/T11で6作品観劇した。その6つの作品がF/T11の全容というわけではないが、作品からは3・11の震災が日本社会全体に震撼を与えたということを確かに感じた。作品の大部分がダイレクトに震災の影響を受けている。大自然に対する畏れや都市や現代文明における自己認識の危機が作品に反映されているのだ。

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人生做為排練場,劇場做為第二自然---談2011東京藝術節

耿一偉

  當我在座談會上聽到Pijin Neji說,他覺得自己平常在便利商店時,就等於是在為自己將來的演出做排練時,我忽然警覺到他已經將社會與人生視為一種排練場,而排練的不真實,對應著他試著在劇場中尋找真實。於是接著他的對話,我提出了日本是一個劇場國家的看法。

  在這次東京藝術節中我所看到的六個作品,雖然不能代表全部藝術節演出的樣貌,但我的確感覺到311大地震對整個社會產生的震撼,大多數的作品都直接或接的受到大地震的影響。這種影響反映在創作形式上,是對大自然的恐懼,這些作品主要都是反映了都市或現代文明中的主體認同危機。

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静かなる抵抗と再考―――F/T11所感

水晶(中国)

 ディケンズの『二都物語』は「それは良き時代でも悪しき時代でもあった」の一文で始まる。この有名な一文は波乱に満ちた時代の総括としてよく用いられてきた。しかし、我々の生きるこの時代はとうに「良い」、「悪い」という白か黒かで単純に分けられるものではなくなっている。「良い」と「悪い」の間には長きにわたる曲折と過程があり、日常生活は留まることなく続く。日は昇り、また落ちる。我々が負った責任を時代や環境に委ねることなく、演劇やあらゆる文芸は生活や人類そのものの思考に戻る必要があり、そこから表現をすべきなのだ。フェスティバル/トーキョー11で鑑賞した作品は、まさに我々が生きる今の時代の静かな思考とその表現のあらわれであった。

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静静的反抗与反思----2011东京艺术节观感

水晶(中国)

  狄更斯的《双城记》里说:"这是最好的时代,这是最坏的时代。"这个金句曾被用来写意地概括很多波澜状况的大时代。然而,我们今天所生活的时代,已经远远不能用"好"或"坏"这样非黑即白的简单定义来界分。在好与坏之间,有着漫长的曲折与过程,日常生活蔓延继续,在日起日落的光阴里,逃离了对时代的指责和功过归咎之后,戏剧或一切文艺形式,终究需要回到对生活本身、人类本身的思考与呈现中来。2011年东京艺术上我所看到的,恰是这样一种对身处之时代的安静思考与呈现。

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