F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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ある一定の国に長期間住みつづけ文化を享受していると、自国に蔓延る文化のすべてが「正常」であるという無反省な誤認に至りかねない。それは自分の家族の常識が正常であるという無根拠な思いこみに十代の子供が陥ってしまうのと同様の方程式であり、それこそ客観性がないゆえに、揺るぎない不文律のヴェールとしてその文化圏の人間を知らずに覆ってしまう。去る11月、日本とルーマニアという特異な2カ国の舞台芸術祭を立て続けに視察してまわったことで、いかにこうした「正常」さが、その国の社会的、経済的、政治的、時代的、土壌によって人工的かつ必然的に生成されたものであるかということを改めて痛烈に認識した。
ロロについての判断を下すことには、独特の困難がつきまとう。それは彼らの作品が、ある種の共感を、したがって同様にそれを裏返した反感を強く喚起する類のものであると思われるからである。共感や反感は、作品に対する我々の態度を根底的に動機づけるという意味で、決して意義のないものではないのは確かだが、批評にとってはしばしば躓きの石である。
以上のような判断から、本稿では、ひとまずレジュメ的なスタイルを採用することとする。衒いのないレジュメとして、『常夏』の構造と、そこに観られるロロの作風・手法・特徴を整理し、これに対する基本的な批評的理解を確保することをまず第一の課題とし、その上で、より批判的な角度からいくつかのコメントを行いたい。