F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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From 1994 to 2006, my experience of Tokyo and Japan was limited to the Narita Airport where I connected my flights between Bangkok and the US - my transit was so frequent that I even started a romantic relationship with a Thai woman passenger at a departure gate there. I was frequently informed back then that not only was it difficult to travel on your own unless you understand Japanese but the Japanese yen was also strong that I feared my Thai baht saving accounts would be much affected had I set foot outside the airport - and I am never a fan of guided tours.
3・11の震災は日本の東北地方に空前の苦しみをもたらした。また、福島の原発事故は日本にとって更なる試練となった。震災後、電力不足から節電対策として劇場が休館を余儀なくされ、原発への憂慮から海外のカンパニーが日本での公演を相次いでキャンセルした。今世紀最大の震災を前に、劇場の軟弱で無力な一面が露呈された。想像以上の大きな災難は、非現実的な感覚をもたらした。3・11の背後には、現代の消費社会やエネルギー環境などの難解で複雑な問題があるといえる。震災の恐怖心や外傷はは未だ払拭されていない。震災後、複雑な問題に直面しているとき、演劇は一体何を語れるのだろうか?これは、今年のフェスティバル/トーキョーのテーマでもある。
3.11的震災讓日本東北受到空前的劫難,福島原子能發電廠的輻射事件更給日本帶來接二連三的考驗。震災之後電力供給吃緊,在節電政策當中首先被關閉的是劇場,國外的許多表演團體也因為擔憂輻射問題而紛紛取消日本的演出行程。 面對這世紀性的大災難,劇場顯現出它的脆弱與無力。超越想像的巨大災難帶來非現實感,在3.11背後的,是現代消費社會、能源環境等盤根錯結的問題。就在震災的驚恐記憶仍然鮮明,創傷尚未撫平,而日本社會仍然必須面對災後各種複雜的問題時,劇場到底可以述說些甚麼?這是此屆東京藝術節(Festival Tokyo)拋出的議題。
這次很榮幸應東京藝術節之邀擔任駐地批評家(Critics in Residence),得以進駐觀察東京藝術節的進行,並且觀賞此次藝術節的各類性節目。當中尤其最令我感到興趣的,是這次藝術節特別為年輕藝術家所企劃的公開甄選作品(Emerging Artists Program)。此次入選的七個日本團體,其主要創作者年齡都未滿三十歲。 這些作品代表著日本新世代的創作者,透過這些作品我們可以窺探出日本新世代的創作者,他們面對著怎樣的社會現實,以及在這當了怎樣的進行的藝術表現。
東京の至る所でみかける「フェミリーマート」。31歳の捩子ぴじんはそこでアルバイトをしている。朝9時から夕方5時まで働く。すでに4年になる。レジだけでなく、フライドチキンやフライドポテトも作る。一年前から、もうひとつアルバイトを始めた。夕方6時から夜11時半まで、駅の売店が新しい仕事場だ。毎日13時間、立ちっぱなし。捩子は舞台上で自分の脚を見せながら「ついにはO脚になってしまいました」と語る。
来到F/T,看到的第一出戏就很让人喜欢,这究竟是好还是不好呢?后边的戏要让我兴奋是不是就会更难了呢?在Theater Green看过Neji Pijin的《The Acting Motivation》之后,我确实有这样的想法,当然,还有头发里和衣服上浓浓的油烟味。
今回の劇評コンペの応募された作品を、第1回目の劇評コンペでも審査した経験から比較してみると、全体の劇評のレベルが格段に上がっていたことに驚いた。おそらく、1回目に受賞した劇評のいくつかでは、今回受賞できなかっただろう。劇評の審査は匿名で行われたので、全ての応募作を読み終えたときの私の印象はそこに集約された。