F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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フェスティバル/トーキョーのウェブサイトで「人間の筋肉の動きをデジタルで記憶させることにより、ダンス界のアイコンともいえるピナ・バウシュや土方巽などの振りを再現するデモンストレーション・パフォーマンス」「最先端のテクノロジーと身体言語としてのダンスとの化学反応」という触れ込みだった『ノーション・ダンス・フィクション』。筆者が事前に抱いた漠たるイメージは、舞台を観るうち、裏切られていった。
本作の演出家・臧寧貝(ザン・ニンベイ)は一九七二年生まれ。上海を拠点にしながら、これまでに数本のオリジナル作品から、ルイジ・ピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』の上演、あるいは小泉八雲の『怪談』の翻案までを手がけ、二〇一〇年には独立演劇団体『将進場』(ランドステージング・シアター・カンパニー)を創設するなど、精力的な活動を展開している作り手である。
劇場に足を運ぶ直前に、この「バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!」予告編の動画を見たときには、「ライトオタクがニコ動のMAD的なハチャメチャさを演劇に取り込んでみた」という程度の作品かと思って、実はたいして期待していなかった。その選曲やセリフは明らかに、今や日本のポップカルチャーの一大センターと呼ぶべきニコニコ動画の影響下にあったからだ。だが、その予想は完全に間違っていたとは言わないまでも、実物はそれ以上の何かであった。
『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』は、誰もが知っているポップスが流れるなか、その曲のテーマに関わるものを公募で集まったダンサーたちが、時にはダンス以外の方法を用いて表現する演目である。ベルに対する知識がない人がそれだけを聞くと、アメリカナイズされたミュージカルチックなダンス、ダンサーたちがノッて踊りまくり、最後は大円団の大喝采というものを想像してしまうかもしれない。或いはベル、コンテンポラリー・ダンスに対する知見が多少なりともある人なら、難解で抽象的なダンスを観客たちがじっと鑑賞する場を想像するのかもしれない。だが、演目を実際に見て私が連想したのは、他のダンサーや過去の演劇ではなく、やはりベル自身影響を隠さないロラン・バルトであった。
ベルの過去の作品はバルトの理論のダンスによる実践のようなものがいくつかある。1995年の『ジェローム・ベル』はダンサーは裸、照明や音楽も極力排除という、バルトの「零度のエクリチュール」の実践版とでも言えるべきものであった。1997年の『シャートロジー』ではバルトの試論「衣服の歴史と社会学」から着想を得て、パフォーマーが幾重にも重ね着しているTシャツを脱いでいくなど、「衣服」をテーマにしている。(※1)ではこの『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』はどのように、バルトの理論を実践しているのだろうか。
全体的な構成の妙や、印象に残る情景描写などは楽しめた半面、さらに掘り下げられるはず(あるいは、掘り下げるべき)ところを詰め切れていないもどかしさを感じさせる公演だった。