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先日、9月30日から約1ヶ月半にわたる開催を発表したフェスティバル/トーキョー17(以下、F/T17)。柴幸男、松田正隆ら日本人演出家・団体の参加、中国で活躍するアーティストらの特集などが発表された。今回注目したいのは、オープニングパフォーマンスを担当するピチェ・クランチェンだ。タイの伝統舞踊を土台に、同時代と共鳴する作品を発表する彼は、どんな新作を発表するのだろうか?
新作オーディションのために来日したピチェと、F/Tディレクターの市村作知雄による対談をお届けする。

(構成・執筆:島貫泰介、通訳:岩澤孝子)

タイの伝統から外れた新作を目指す

― F/T17のオープニングは、ピチェ・クランチェンさんの新作を上演します。

市村 F/Tのオープニングは、野外を会場に、強い祝祭性を持った、誰でも参加できる内容であることを重視し、2014年からの3年間は大友良英さんを軸とする「プロジェクトFUKUSHIMA!」を展開してきました。それに続く、次の数年間をお任せできるアーティストを探すのは、すぐにできることではないんですね。だから、じつはピチェさんとは2015年の時点から話を進めていたんですよ。

市村作知雄

ピチェ マレーシアでのとあるパーティーの席で隣り合ったのが最初でしたね。その場で「東京を見に来ませんか?」と提案されて、とても驚きました(笑)。

市村 まずは東京の雰囲気、空気を知ってもらいたかったんです。というのも、2014年から16年までF/Tは池袋西口でオープンして来ました。展開の中心を移していきたいと考えていて、そのためのパレード的な作品をつくりたいと思っています。チェルフィッチュ『あなたが彼女にしてあげられることは何もない』など4作品を上演した「まちなかパフォーマンスシリーズ」を南池袋公園を中心に昨年から始めたのも、その一環でした。

ピチェ 最初に池袋東口の通りを歩いて「この通りを舞台として使ってほしい」と言われて「えー、本当に!?」と驚きました。空間の広さも、パレードというパフォーマンスの形態も自分にとってまったく未知だったからです。また、市村さんからは、もうひとつの新しい挑戦を提案されました。

市村 「タイの伝統から外れた作品をつくってほしい」とお願いしたんです。ピチェさんに対する日本を含めた海外からの理解は、タイの伝統と現代性をミックスした人、というものです。けれども僕としてはその枠組みを取り外したかった。昨年のF/Tは「境界を越えて、新しい人へ」をテーマに掲げていましたが、今年は「新しい人 広い場所へ」としています。

― その意図は?

市村 私から若い人への問いかけ、ですね。20〜30代の現在の若者たちはいまの社会をどう見ているのか? この世代は、その親も含めて戦争を体験していないし、冷戦の時代も直接は知りません。一方、それらを経験している私たちの世代からすると、現在の世界がさまざまな意味での行き詰まりを迎えているのは明白で、次の時代の展望はいまだ見えてこない、というのが今です。
そして20年後には我々は死滅して、現在の若者たちが社会の中心となっている。「そのとき、あなたは何を考えますか?」という、「新しい人へ」の問いかけが、今回のF/Tのテーマなんです。

新しい人たちの現在

ピチェ すごく興味のあるコンセプトです。東南アジア諸国でも同じようなことが考えられていて、地域を問わず共有することのできる問題だと思います。タイも同様で、30代を含んだ若者たちの多くが、自分たちの文化に対して興味を持てないでいます。あるいは拒否感を持っている、と言えるかもしれません。

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市村 マレーシアにリサーチに行った際、中国系の若者たちと話す機会がありました。彼らは中国に行ったこともないし、この先も行くこともないと思う、と言っていました。華僑のような「いつか故郷の中国に帰る」という意識を、若者たちはまるっきり持っていない。だとすれば、いつまで彼らは「チャイニーズ」を呼ばれ続けるのだろうと思いました。
それはアメリカに渡った日本人も同様です。いつまで日系3世、4世と呼ばれるのか? ひょっとすると「多民族」「多様性」という言葉自体が、僕らオールド世代特有の言葉なのかもしれない。民族で区分されるのではない、もっと先のコミュニティー像がありえるかもしれない。だとすれば、若い人たちに向けて「伝統を認めながら、現代的な新しいものを付け加えなさい」というのは、ある錯誤が含まれている可能性がある。

― たしかに、インターネットによるグローバリゼーションの体現は、文化地域の距離や差異を超えて、生活様式や趣味趣向を均一化していますね。

市村 ちょっと話がずれますが、F/Tでは、2014年から毎年アジアの1国にフォーカスする「アジアシリーズ」を続けています。14年は韓国、15年はミャンマー、16年はマレーシア。ここで選ぶ国の基準は、植民地化された歴史を持ち、伝統文化におけるある断絶を抱えている、ということでした。その尺度で言うと、タイはちょっと違うんですよね。東南アジアにおいて、植民地化されなかった強い国、というイメージが私にはありました。
伝統が強く残っているからこそ、ピチェさんのようなコンテンポラリーなアーティストが活動するには厳しい壁があるのも理解できたし、だからこそ時代にとらわれることのない作品をつくってほしいとも思ったわけです。
でも、その話をピチェさんにすると、彼は「そんなことはない、タイは弱いからこそ、その姿を保てたんだ」と応えくれました。

ピチェ 「強いタイ」は、外国から見た姿であって、実際はそうではありません。例えば、タイの舞台芸術、特にダンスの状況に関して言えば、たしかに伝統の力は強い。けれども、それは「形式」の保存・継承についてのみで、「知識」とその理解という面では非常に弱い。
伝統の側にいる人たちにとっての伝統文化は、厳格に受け継いで練習を重ね、そしてその信仰的な体系を守るべきものとしてあります。一方で私は、そのあり方そのものに対する問いを立て、深くリサーチし、研究していく、という立場をとっています。おそらく、タイの舞踊界において私のカンパニーのメンバーほど、伝統文化に詳しい人々はいないでしょう。しかし皮肉なことに、伝統について知れば知るほど、私たちのやることは「伝統ではない」と見なされてしまう(苦笑)。
今回のF/Tで発表する作品は、そんな自分の立ち位置と、そこで展開している仕事を直接反映させたものになるように思っています。カバンを裏返しにひっくり返して、まったく別の使い方で提示していくような。

ピチェが見た「東京」

― ピチェさんは、東京の本格的なリサーチを2016年から続けていると聞きました。そのなかで見えてきたものはなんでしょうか?

ピチェ リサーチの対象としているのは「人が歩く」ということです。歩行とは、誰もが行う活動であり、とても人間的な行為ですからね。特に気になったのは「なぜ東京の人たちは、こんなに早く歩くのか?」でした。私は、そこからいくつかのポイントを見出しました。
例えば、東京の東と西に住んでいる人では歩くスピードが違います。西側にいる人が早い。

市村 西というと、新宿や渋谷などの都心部ですか?

ピチェ はい。そして東側は、浅草などの下町エリアです。西側の人が早く歩くのは、高層ビルが多いのが理由かもしれません。景観の違い、建造物に使われているガラスや木材などの材料の違い、地下街の存在などが影響しているのではないかな、と。
それと、東京の人たちの多くが常に頭脳労働をしているのも理由のひとつだと推測しています。つまり、早く歩くことによって、ホットになった頭をクールダウンさせている(笑)。新宿駅から都庁に続く地下通路は、特に早足で歩く人が多いです。

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市村 官庁街ですから、たしかに頭脳労働をしている人が多いですね。

ピチェ そんな西側にも遅く歩く人がいます。それは外国からの観光客。

市村 たしかに(笑)。

ー 新作はパレード形式を予定していますが、歩行のリサーチはそちらにも反映されますか?

ピチェ 「モンキー」を演じるダンサーと、私が「アクター」と呼ぶ一般の人たちが2人1組でパフォーマンスを行い、歩行と感情の関係を提示する内容になる予定です。まだラフの段階ですが、衣装もとってもファニーでよい感じです。築地でのリサーチから生まれたのは、マグロとタコが融合したような人間(笑)。「FlynowⅢ」というタイのブランドのデザイナーと協力して制作中なので、おたのしみに。

市村 歩行っておもしろいですよね。F/Tのリサーチでアジア各国を巡っていますが、どこも高層ビルが林立していて、若者たちはタブレット端末を駆使している。どの国に行っても、かなり似た風景、習慣、生態が広まっている。そうすると、かなりの確率で、みんなが東京のような速いスピードで歩くようになるでしょう。私はもちろんゆっくり歩くのが好きだけれども(笑)。
フラッシュモブと言って、街中の群衆が突然静止するパフォーマンスを企画した人がいましたが、ある動きの流れに対してストップをかけてみる、異なる動きを介入してみるというのはアートの大切な役割だと思っています。

ピチェ 歩行とは、「外を見るプロセス」「世界認識の過程」であると私は考えています。それは、社会を見直す、ということでもある。
私たちは、さまざまな感情を、理性や精神によってコントロールしていると考えて生きています。しかし実際には、感情こそが私たちのマインドを支配している。つまり正常な関係性が失われているわけです。

市村 私は長年山海塾の制作をやってきましたが、ピチェさんと接していると、主宰の天児牛大(あまがつ・うしお)に似ている、と思うんです。作品の作り方だけでなく、カンパニーを率いるリーダーの資質としてもね。
それでふと思い出すのですが、天児は舞踏のメソッドとして、気持ちが楽しくなかったとしても、まずは笑い顔をしてみなさい、すると気持ちも楽しくなってくる、と言います。つまりかたちによって感情が規定されることがありえる。

ピチェ タイ舞踊では、踊り手が演じるキャラクターは常に1つで、例えば猿を演じる人は、生涯で猿しか演じることはない。かたちと感情を持つキャラクターが常にセットになっていて、それは引き剥がすことができないのだと私たちは教えられてきました。私はそれをあえて切り離そうとしていますから、天児さんのメソッドに理解と共感を覚えます。
私は自分自身をコレオグラファーというよりもリサーチャーとして認識しているところがあります。タイで初めてのダンスカンパニーを設立し、前例のない試みに取り組むことは、研究と発見の側面が非常に強くあるからです。
特に2年前から集中しているのは、伝統的なバックボーンを持ったダンサーたちは、どうすれば自由な表現が可能になるかという課題です。ダンス、そして芸術のメソッドは常に刷新されていく。その原動力は綿密なリサーチであり、その成果は新作でもお見せすることができると思っています。

市村 ありがとうございます。とても楽しみにしています。

協力:公益財団法人セゾン文化財団

Pichet Klunchun_Photo Sutras Rungsirisilpピチェ・クランチェン(Pichet Klunchun)
伝統の精神を保ちながら、タイの古典舞踊の身体言語を現代の感性へとつなげることで、新たな可能性を見出そうとしているタイ人振付家。タイ古典仮面舞踊劇コーンの名優チャイヨット・クンマネーのもとでコーンの訓練を16歳より開始。バンコクのチュラロンコン大学で芸術・応用美術の学士号を取得後、ダンサー・振付家として舞台芸術を探究してきた。北米、アジア、ヨーロッパの各地で様々な舞台芸術プロジェクトに参加。フランス政府から芸術文化勲章シュバリエ章(2012)、アジアン・カルチュラル・カウンシルからジョン・D・ロックフェラー三世賞(2014)等を受賞。近年では、『Dancing with Death』(2016)『Black and White』(2015)などが日本で上演されている。

市村作知雄
1949 年生まれ。ダンスグループ山海塾の制作を経て、トヨタ・アートマネジメント講座ディレクター、パークタワーホールアートプログラムアドバイザー、㈱シアター・テレビジョン代表取締役を歴任。東京国際舞台芸術フェスティバル事務局長、東京国際芸術祭ディレクターとして国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手掛けるほか、アートマネジメント、企業と文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPO の調査研究などにも取り組む。

 

島貫泰介
美術ライター/編集者。1980年生まれ。『CINRA.NET』、『美術手帖』などで現代美術、演劇などアート&カルチャーの記事執筆・企画編集を行う。

 


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名 称: フェスティバル/トーキョー17   Festival/Tokyo 2017
会 期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月19日(日)(予定)51日間
会 場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか
F/T17のオープニングは、タイの振付家・ダンサーであるピチェ・クランチェンが、日本人アーティストと共に池袋の街を彩る参加型・野外プログラム。東京での滞在リサーチを経て、生きた“トーキョー”の姿を浮かび上がらせる。オーディションで選出された日本人ダンサーと、一般から募る出演者のみならず、予約不要・無料で誰もがその場で作品に参加することが可能。F/Tが、都市における新しい祭りのかたちを提案する。

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▶ディレクター・メッセージ フェスティバル/トーキョー17開催に向けて 「新しい人 広い場所へ」