今回の企画『カフェ・ロッテンマイヤー』では、最終週に演劇公演もありますが、美術作家として『カフェ・ロッテンマイヤー』公演を前に演劇にどう向きあっているのでしょう
演劇では自分でコントロールできないことをやってみたいです。
かつて写真作品を制作するようになる前に、パフォーマンスをやろうとしたことがありましたが、あまりにも「自分の思い通りにならない」と感じ、2回ほどで方向転換しました。もう十数年前のことですが、それが今でも気にかかっています。それに加え演劇を見るのはすごく好きなので、挑戦もしてみたかったので、今回演劇公演もやらせてもらうこととなりました。
敢えて演劇をもう一度根本的に問い直すべくF/T10 は「演劇を脱ぐ」をコピーに掲げています
現代美術には「必ず脱がなきゃいけない」という強迫観念があるので、常に逸脱し前進し、既存のものを打ち壊さなくてはいけない。それはもはや決まりごとのようで、既にその考え方自体が古くもある。もちろん演劇にも壊すべきものや脱ぐべきものがあるでしょうから、美術と共通する部分も違うところもありますが。
美術の方が身軽なのでしょう。演劇は人間というナマモノを必ず荷車に乗せて引っ張らなければならない分、重い。だから、私がすごく考えるところですけれども、いくら演劇を脱いだところで、人がいない、無人の演劇というものはありえるのでしょうか。そういうものは、それでもまだ演劇と呼べるのでしょうか。
美術は身体が登場する・しないはもちろん、作品を作らない作品まで色々ある。そこは観念だけでドーンと進むこともできる分、身軽なのかと。どんどん先鋭的になれる分野です。しかし、それゆえどんどん大衆と離れていくという病理にも苛まれる。ですから領域横断して異種交配すれば、互いに合わせ鏡のように映しあうことで突破口が生まれ、演劇の閉塞感と美術の自家中毒的な病をそれぞれポジティブに昇華できるのではないかと思います。
演劇という一つの表現メディアには、今後これまでの写真や映像に並ぶような形で、何らかの位置を占めてくる可能性もあるのでしょうか。
今、美術とどう関わるか悩んでいます。美術で今まで作ってきた世界観と、次に演劇でやってみようとすることがどうリンクするか。それともまったくしなくてもいいのか。演劇と関わることによって、私の美術作品も大きく変化するのではないかと思います。だから作品の物語や演劇的な部分を、純粋で比較的古典的な演劇ないし今までとは別のアウトプット方法で昇華してみたい。そうやって一回出したら、また何か別の展開があるのだと思います。
ただ正直なところフィールド(所属)というものはあまり意識していないです。でも、とにかく一生懸命勉強はしています。それを演劇の人に言うと「一生懸命勉強しなくてもいい」、「勉強したらロクな作品にならない」、「もっと自由に!」とまで言う人までいる。たしかに美術作品を作りたい人が「まず座学で勉強」などと言ったら、絶対同じことを言うでしょう。「そんなの勉強しなくていい!」(笑)、「自分の創りたいものをまず創れ!」って。でも好きなものって、情熱だけで2つ3つはできるかもしれませんが、そこからの道のりが長い。
自分のなかの「井戸」には限りがあり、同じところを掘らなくてはいけない。あちこち掘ったところで水が出るとも限らないということです。だから、色々な人に会ったりして、自分の狭い井戸だけを掘り続けることがないようにしなくてはいけません。
カフェ: 入場無料(1ドリンク制)
演劇公演: 1,000円(整理番号、1ドリンク付)
当日13:00〜 F/Tステーションにて販売します
カフェ・ロッテンマイヤー営業日
10月30日(土)、31日(日)、11月6日(土)、7日(日)、13日(土)、14日(日)、20日(土)、21日(日)、23日(火・祝)、27日(土)、28日(日)の12:00-22:00
演劇公演:11月23日(火・祝)、27日(土)、28日(日)
開演時間:18:00(開場は開演の15分前)
※当日は17:00から、カフェおよびF/Tステーションは閉店しますのでご注意ください