フェスティバル/トーキョー16のテーマは「境界を越えて、新しい人へ」。アーツ千代田3331を立ち上げ、アートと社会の交わる第一線で活躍する中村政人氏をゲストにお迎えし、フェスティバルディレクターの市村作知雄との対談を行いました。
「境界を越えて、新しい人へ」
市村 今年のテーマの中では特に「新しい人へ」が重要なんです。今の若い人たちは、自分のお父さんですら戦争は体験していない。それどころか、ベルリンの壁が崩壊した時にまだ物心ついていない。一方ではITやインターネットが普通に存在しているという世代です。
僕なんかの古い世代は、世界に対立構造があるという前提でものを考えていました。例えば韓国への差別意識なんかも日常会話の中にかなりあったんです。だから例えば韓国人アーティストと付き合う時にも「差別してはいけない」っていう意識をいったん通ることが僕も必要になってしまう。けれど今の世代はそんな必要もなく、最初からダイレクトに付き合っていけるわけで、そういう世代こそが、我々ができなかったことをきっとやり遂げるに違いないと思っています。彼らは社会的に高いポストからはまだまだ遠いところにいて、大きな影響力はまだ持っていないけど、いずれは変わるでしょう。
今の世界は、テロが起きたりすることで変化しつつあるけど、もっと大きな流れの中で見ると、今とは違った変わり方をしていくはずです。これじゃない、その次がまだあると思う。その中でアジアとの交流をどうつくっていくか。それが今回の「新しい人へ」の意味するところです。
──若者たちへの期待を込めて、ということでしょうか。
市村 ただ心配事ももちろんあって、今年から選挙権が18歳からになりましたけど、なぜ今の与党が若い人たちに選挙権を与えたかというと、その層がものすごく保守化しているからでもありますよね。そういう前提の上で、我々は活動しなければいけないと思っています。
アートの役割はどこまでか?
市村 僕はアートプロジェクトがとても気になっていて、横目に見ていると、芸術表現の領域に留まらずに、社会問題を解決するところまでいっちゃうのかと思うんですけど。
中村 アートの役割や可能性は、どこまでいっても終わりがないと思っています。最近だとソーシャル・エンゲージド・アートとかコミュニティアートという言い方や、地域アートと強引な言い方でカテゴライズする動きもありますが、それらにしても美学的な領域で批評や行動が留まっているようでは、別に美術館の中でやっていることと変わらなくて、ただ町という舞台を借りているだけになってしまう。結局アートマーケットに向けた表現として社会的コンテキストを使っているだけのが多い。本質的に「アート」が社会に機能していくためには、今までのアートシーンにおける表現方法では、声が届かない。
僕がアーツ千代田3331を立ち上げる背景には、エンゲージしているだけや、お膳立てされたアートプロジェクトををしているだけでは、「アート」を社会化することができないと思っていたからです。起業し会社をつくり「ごっこ」ではない「アート」活動を実践的に作り上げていきました。その意味でインスタレーションやアートプロジェクトを作ってきた延長線でコマンドNや3331は事業化した作品だと思って制作し続けています。一点の作品は、何重かの社会的フレームに支えられ存在しているわけで、その全てのフレームをつくらなければ作品の在り方を本質的につくる事はできないと考えたのです。壁をつくり、ギャラリーをつくり、アートセンターをつくりました。その全てのフレームを創ることで、一点の美術作品が都市に存在している事の機能を根本的に考えたかったのです。しかし、3331の外のフレームには、まだまだ政治的・経済的・社会的課題が多く存在していて、「アート」という考え方だけでは、そのフレーム設計には、限界があることも実感しています。
それからつい最近、被災地を見て回ってきたんですけど、ある被災者のリーダーに聞いたのは、いちばん重要なのは先の「見とおし」だ、って言うんです。自分の未来をつくろうとする時に、例えば仮設住宅から復興住宅に移れるかどうか、それが自分の力でできるかできないか、っていう「見とおし」が必要であると。そういう意味では、アートは世の中に対して「見とおし」を立てられる。そこは大きいと思っています。演劇や美術作品を鑑賞したり参加する経験を自分たちの生活に引き寄せていく。そうすることで創造的な「見とおし」を見い出すことに可能性が広がる。
3331では、町の人たちの中に飛び込んでいくし、向こうからも来てもらう。最初は町内会の人たちにも「現代美術はやっぱりよくわからない。町にひらくとか言いながら全然ひらいてない。それにあなたたち、楽しそうでイヤだ」とか言われましたよ。楽しそうでイヤ、って言われてもどうしようもないじゃないですか(笑)。でもそのうちワークショップも機能してきて、徐々に町の人たちも自分達の場所を陣取ってミーティングしたり趣味の縫い物したりするようになった。そうして5年経ってから言われて嬉しかったのが、「中村さん、アートって、自分たちが何かつくった時にワクワクする、こういう気持ちのことでしょ?」って。アートのプロである僕らの「見とおし」と、町の人たちの「見とおし」とが、バラバラのベクトルではなく、寄り添うようになってきたということだと思うんです。
キャンバスというフレームを越えて
市村 美術界から見ると「演劇はいつまで作品つくってんのよ」みたいな言い方になるかもしれない。それに対して演劇界でいちばん大きかったのは「ポストドラマ」と呼ばれた動きで、その流れの中ではリミニ・プロトコルをはじめとして、観客が参入してくる演劇も一時期ずいぶんやられました。でも観客参加型であろうとも、演出家が思った通りに観客が動いているようでは、結局システムの中でしか動いてないんです。それだと単に舞台を観ることとそんなに変わりはない。
演劇界のいちばんの問題は、演出家が絶大な権力を握っているということなんですね。未だそれを変える方法は見えていない。ただもともと美術は演劇ほど分業化されているわけではないですし、もしかしたら美術の中に、先に進めるヒントが見つかるような気もしています。
中村 そういう意味では、アートでも、西洋的な美術の文脈から離れて、その土地に固有の文化の文脈から作品を出来事として創っていくアートプロジェクトが数多く生まれています。
しかし一方では、ただ造形的なモノをぽんと見せるという、駅前彫刻みたいなパブリックアートは未だにすごく根深くある。全国の都道府県に公立の美術館が全てつくられ「アート」の市民権は広がったように見えるが、そこには「これはアートで、こっちは違う」というようなイメージが一般市民に偏見と共に根深く固定概念化されていった。市民の心には、未だに岡本太郎の「芸術は爆発だ!」が効いているわけですよ。「えっ、爆発しくれないの?」みたいな。
──爆発!(笑)
市村 アートプロジェクトは、ダイレクトに現実社会と繋がろうとしているように見えます。でも演劇でそう考えている人はまだ少ないんですよ。僕が韓国から持ってきて紹介した多元芸術(ダウォン芸術)の中にはそうした作品がありましたけど。おそらく演劇のつくり方自体を変えないと、そういう発想は生まれないんじゃないかと。
──市村さんが数年前に招聘したキム・ファンの多元芸術作品『皆のためのピザ』は、いわゆる演劇でもなく、かぎりなくアートとの境界が溶けたものでした。
市村 ええ。少し『皆のためのピザ』について説明すると、北朝鮮にピザ屋が1軒あるんです。金正日がピザが好きでつくったんですね。一般の人は行けないんだけど、北朝鮮の人も世界にピザが存在するという事実は知った。そこで南側(韓国)のアーティストが、北朝鮮のマーケットでも買える材料を使って、ピザのレシピをつくるんです。それをDVDに焼いて、中国と北朝鮮の国境からブローカーに渡して、その500枚のDVDを平壌でバラまいたんですよ。それで北朝鮮の人がピザをつくって、そのリアクションが戻ってくるという。
中村 ……っていう演劇ですか?
市村 演劇というかなんというかわからないものですが、演劇の場で上演したものだから、「こんな演劇、観たことない!」みたいになったけれど。
中村 面白いですね。
市村 世界から見ても、今これがいちばん面白い、なぜなら混ざっているから、という可能性があの作品にはあったと思っていますね。
──あの作品が「演劇」かどうかはさておくとしても、少なくとも日本の演劇を変えうる作品ではあったと思います。
市村 美術におけるホワイトキューブに当たるものが、演劇だと劇場になりますよね。これは一種の白いキャンバスなので、自由で好きにできるんだけど、そんな場所は現実社会にはないんですよ。美術がもうキャンバスに描かなくなったように、演劇でも劇場の外で上演するように少しはなってきたんですけど。
中村 まあ自分も油絵学科の先生をしているので(笑)全国の学生たちも、小・中・高と学校で「美術」の時間を経て、芸大の油絵科を目指してくるような子たちはたくさんいるんですね。でもその子たちは、キャンバスというフレームの中だからこそイメージを発揮できる。ところがそのフレームをとってしまうと、もう何していいかわからないわけですよ。それくらい内向的です。彼らにとっては、キャンバスは世界を見る窓ではなくて、自分の内面を確認するための装置になってしまっている。個人の内面をしっかり深く感じることができるキャンバスというフレームも大事だとは思っています。でも例えば展覧会の会期終了と共に作品のメッセージ力が終わったり、その美術的な価値を批評し検証するということで留まってしまうだけの「アート」ではもうダメです。次にいかないと。
作家の能力はまだまだ眠っている
中村 次、というのはもはやアートプロジェクトをつくり一次的に運営できればいいというレベルではなくて。プロジェクトを事業化して、起業し持続性ある地域の文化的・経済的活動にしていくというステージに立たないとなにも変わらないと思います。
市村 演劇はモノとして売れるものではないので、美術とは経済的な成り立ちが違うんですけど、アートそのものを事業化しようという時に、採算性はとれるんですか?
中村 3331の場合はいちばんの利益は不動産なんです。サブリース契約で貸していて、そこで収入のほとんどが出ている。それによって人件費と光熱費を払って、残った売り上げで自主企画をやっているんですよ。なので補助金はほとんど入ってないんです。そういう回し方がある。
ちなみに変な話だけど、僕にはどうも不動産を見る能力があるらしい。これ、残念ながら、凄いあるんですよ(笑)。
──不動産を見る能力が(笑)。
中村 たぶん町歩きを徹底的にしたから、今や物件の特徴が読み取れるんですよね、見事に。そっちを本業にした方が向いているかもしれないぐらいに(笑)。最近は再開発の流れまで読めるように成ってきました。
僕は作家の能力というのはまだまだ眠っていると思っているんですよ。つまり、美術というフレームだとどうしても絵や彫刻、せいぜいインスタレーションをつくる装置に留まってしまうけど、本来もっと作家はいろいろなことができるんです。町に出ていくと気づくんですね。町の人たちはすごく別の能力を要望してくるから。自分の心の壁なんか越えて、デザインだろうが、交渉だろうが、市長への直談判だろうが、企業にスポンサーを取りに行くのだろうが、やろうと思えばできるんですよ。そうやって何かを創造的につくろうというフレームが、人間の能力をもっと引き出してくれるはずなんです。
あと事業化していく中でその地域がホームグラウンドだということになれば、やっぱり愛情が生まれますよね。東京ではこのあたり、つまり神田に来るとちょっとホームって感じが僕はするんですよ。うちの子供もここの小学校に入れてる。大枠で言うとアートと産業とコミュニティがクロスする部分をつくっていきたいんです。
市村 アートに比べると演劇はまだそこまでは……。
中村 いや、アート界でもたぶん誰も僕の後ろについてこないんで、心配しなくていいと思いますよ(笑)。
市村 演劇界がなぜ社会とここまでコミットしないのかっていうと、いろいろな原因がありますけど、演劇のひとつの特徴として、「言葉」の問題がある。言葉を使わなければそこまでダイレクトに触れなくても済むようなところに、どうしても触れてしまう。
──言葉にすることで、露わになりすぎるということでしょうか?
市村 そう、検閲にしてもそうですが、言葉として明示されることで政治的な権力に触れてしまう。美術ならごまかしが効いたりするところも、言葉でやっちゃうとそうもいかないんですね。そういう意味で演劇が臆病になってしまうっていうことが続いているんじゃないか。もちろん演劇にはジャンルの垣根だって越えていく可能性があるとは思っているけど、でも要素としての言葉は消えないで残る。そこは無視できないし、モノをつくるアーティストがいるのと同じように、言葉が使えるアーティストっていう形で演劇の作家を捉えたほうがいいのかもしれない。
ただ、その言葉の能力がものすごく落ちているという問題もあります。ボキャブラリーも減って貧しくなっているじゃないですか。言葉が貧しくなるというのは、感情の多様性が減るっていうことでもあるから、それだと演劇はもたない。美術で言うと、色がなくなっちゃうようなことが起きているのが怖いです。
卒業しても「出口」がない
中村 3331は理想を目指してフレームを設計して実際に稼動させてきたんですが、最近、アレ、ちょっと待てよと。最初はたった5人で始めたんですけど、新しくスタッフとして入ってくる人たちは、すでに3331に対してあらかじめイメージを持ち、そのイメージの中で働けると思い込んでるわけですよ。そしていざ実際に中に入ると、そのイメージに縛られちゃうんですね。だから仕組みをつくってきた僕ら自身がその仕組みを乗り越えなければいけない。そのための次の動機やビジョンをつくりたいんです。
ところが人材育成ということでは、大学からの出口があまりにも貧弱なんですね。大学卒業して現場に出た途端、突然またアルバイトやニートになってしまうという状況がある。出口として、プロになる前のもう一段階の現場がないと……。
市村 出口、ないですよね。大学の先生やってて気づいたことは、4年でアーティストはつくれないということです。昔はアーティストは留年していた。今はどちらかというと大学院に行っちゃうんだよね。それで結局みんな卒業して潰れるわけだから。
中村 潰れる。本当に潰れますね。才能ある子もどんどん潰れていく。
市村 そこを何とかしなきゃいけないっていうのは確かです。
中村 僕も韓国に3年留学したことですごく時間をもらったんですよ。そこで刺激を受けながらじっくり考えることができて、そのおかげでその後突っ走ることができた。
市村 学生には絶対に海外に行きなさいと言います。それもただの観光じゃなくて、同じところに1ヶ月くらい滞在しなさいと。そうじゃないと、日本の常識がそのまま世界が常識だって思っちゃう。例えば結婚したら韓国は姓名が変わるかどうかとか。日本の常識が世界では違うということを知るのは大事なことだと思います。
中村 やっぱり、大学を出て次のプロの現場に入っていくための「見とおし」が立つかどうか。そういう意味ではフェスティバル/トーキョーにしろ、芸術祭が全国にいろいろあって、それはいわゆる美術館のような安定した箱とは違って不安定な環境なんだけれども、そのぶん、いろんな人たちにアクセスしやすい。それはアーティストだけじゃなくてコーディネートする人にとってもそうです。
コーディネートする人、すごく今足りてないですよね。だから現場経験値があって、ある程度の人脈もある人たち、は引っぱりだこなんですよ。どこのフェスティバルに言ってもみんな同じような人がマネージメントしている。
──現場のニーズがあるはずなのに、出口になってないというのは、そこにミスマッチがあるんですかね?
中村 学生時代に現場を学んでないから、ミスマッチのまま現場に来る。で、いきなり来て市村さんとか僕の下に入ったら、そりゃ怖いじゃないですか(笑)。それで「この業界向いてないかも」とか安易に思われても困るんですよね。現場経験を通して、本当にこの業界に向くのかどうか、自分の可能性の「見とおし」を考えてほしいと思います。しかし、プロジェクトの現場を本気で学ぶ場がないのが教育的には大きな課題です。
ローカルとしての「東京」
──フェスティバル/トーキョーには「東京」の名が冠されていますが、他の国際的な都市に行くと、もっとジャンルの壁など関係なく混ざっている雰囲気もあります。東京のアートシーンはどうなっていくんでしょうか。東京で活動されていて、何かそこにポジティブな「見とおし」があるとしたら、ぜひお聞きしたいです。
中村 例えばインターネットがなかったころの情報誌「ぴあ」の全盛期は、すごい量の情報が一冊の雑誌として手に取れていたわけですよね。そこでは都市を知覚する一つの総体が、雑誌のボリューム感として見えていたわけですよ。しかし今のクラウド化された情報網は、誰がどこで何をやっているか、複雑に絡みあうそれらのノードが知覚しにくくなっている。分かりにくいかも知れませんが私の「見とおし」としては、東京の膨大な知覚の総体に対して、どうやってある密度を持った知覚体験を与えていくか?が課題です。美術館や博物館のような断片的な知覚経験だけでは、その密度はつくれないと思っています。
具体的には、今年のトランスアーツ東京は、エリアを拡大して、谷根千から神田あたりまでを範囲にしたんです。すると文京区と台東区と千代田区の3区にまたがることになるんですけど。半径1キロぐらいの歩けるくらいのエリアで東京を知覚する密度を高めるプロフラムを設計するチャレンジをしています。そしてこのプログラムの発展型として「東京ビエンナーレ」という構想を描いています。
東京ローカルのそれぞれの部分であり個が全体としての東京をいかに超えるか、クラウド化された東京の断片化を解消し、密度ある知覚体験をいかに創造するか? そのためにも、2年に一度、東京全体が揺らぐような知覚体験を生みだすプログラムが必要だと考えます。
市村 東京はポテンシャルから見ても最大なのはわかっているし、これを超えるものなんてない。でも「東京」って言っちゃうとリアリティが湧かないけど、我々はむしろ(池袋のある)豊島区で生きているわけです。やはり「区」っていう範囲は面白いなと思いますね。「都」だと茫漠としちゃうけど、「区」っていうのは意外と地方都市と同じように生活があって、いろいろな課題があって。だから豊島区に根を生やしていることになりますね。
──東京をローカルなものとして再認識することで、新たな知覚体験を見い出すことができるのかもしれませんね。
今は「アート」や「演劇」というジャンルの壁も含めて、あらゆる境界が溶けつつあるのを感じます。旧来のシステムや価値観では対応しきれなくなるだろうし、事実、すでにそうなりつつある。今日お話くださったように、今、新たなシステムや価値を創造しているの はどちらかというと酸いも甘いも知った大人のように見えますが、いずれは「新しい人」たちがそれを担っていくはずです。たぶん、この対談をただありがたがって読むのではなく、奮起する人の中からこそ、「新しい人」が現れるのではないでしょうか。今日はありがとうございました。
中村政人(なかむら・まさと)
1963年秋田県大館市生まれ。アーティスト。3331 Arts Chiyoda統括ディレクター。東京藝術大学絵画科教授。美術と社会との関わりをテーマにプロジェクトを進める社会派アーティスト。第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2002年)日本代表。1998年よりアーティストイニシアティブコマンドN主宰。富山県氷見市、秋田県大館市等、地域再生型アート・プロジェクトを多数展開。プロジェクトスペース「KANDADA」(2005~2009)を経て2010年6月よりアーティスト主導、民設民営のアートセンター「アーツ千代田3331」(東京都千代田区/秋葉原)を立ち上げる。著書「美術と教育」等多数。平成22年度芸術選奨受賞。2011年より震災復興支援「わわプロジェクト」、2012年より東京・神田のまちの創造力を高めるプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」を始動。
市村作知雄(いちむら・さちお)
フェスティバル/トーキョー・ディレクター
1949年生まれ。ダンスグループ山海塾の制作を経て、トヨタ・アートマネジメント講座ディレクター、パークタワーホールアートプログラムアドバイザー、㈱シアターテレビジョン代表取締役を歴任。東京国際舞台芸術フェスティバル事務局長、東京国際芸術祭ディレクターとして国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手掛けるほか、アートマネジメント、企業を文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPOの調査研究などにも取り組む。現在、NPO法人アートネットワーク・ジャパン会長、東京藝術大学音楽環境創造科准教授。
藤原ちから(ふじわら・ちから)
1977年高知生まれ、横浜在住。批評家、編集者、BricolaQ主宰。雑誌「エクス・ポ」、武蔵野美術大学広報誌「mauleaf」、世田谷パブリックシアター「キャロマグ」などの編集を担当してきた徳永京子と共著『演劇最強論』(飛鳥新社)のほか、ウェブサイト「演劇最強論-ing」を共同運営。NHK横浜のラジオ「横浜サウンド☆クルーズ」出演。本牧アートプロジェクト2015プログラムディレクターなどキュレーションも行う。また遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』を国内外の各地で創作している。