marebito

寄稿:山﨑健太

マレビトの会『福島を上演する』は演劇の原理で他者への倫理を問う。突飛にも思える公演形態とラディカルな上演の形式はそのための手段だ。『福島を上演する』では全ての回で異なる複数の戯曲が上演される。2017年は12公演、全29本の戯曲が上演される予定だ。

「12公演全体で1つの作品というコンセプト」に照らすならば、ほとんどの観客は『福島を上演する』のごく一部しか見ることができないようあらかじめ条件づけられている。2016年が4公演21本の上演だったことを考えると、全体の把握を困難なものにせんとする意図はより徹底されていると言えるだろう。公演回数が3倍となっただけではない。会場がにしすがも創造舎からシアターグリーンBASE THEATERに変わったことで、1公演あたりの客席数は大きく減った。結果として、全ての公演を見ることができる観客の数はそもそも物理的に制限されている。  

©Keiko Sasaoka

マレビトの会『福島を上演する』

作・演出:マレビトの会 10月7日 (土) ~ 10月15日 (日)

 あるいは、個々の戯曲を1つの作品として考えるならば、このような公演形態は同じ作品を繰り返し上演すること/見ることへの抵抗であると捉えることもできる。「都市で同じことは二度起こらない」※。(しかし一方で、『福島を上演する』が演劇である以上、その背後には稽古という繰り返しがあからさまに潜在しているのもまた事実である。このことはどう考えればいいのだろうか? 実際のところ、今回上演される戯曲のうちの何本かは試演会という形ですでに上演されたことのあるものであり、厳密な意味での一回性は損なわれている。また、出来事の一回性ということを重視するのであれば、上演に先立って全ての戯曲を公開し、各日の上演戯曲まで前もって告知する理由はどこにあるのだろうか?)。

 1回の上演が必ず複数の書き手の戯曲によって構成されていること、演出に複数の人間の名前がクレジットされていることもまた、全体を一つの視点に収斂させまいという意志の表れだろう。『福島を上演する』を含むプロジェクトの全体が極めて長い時間軸の中に置かれている点にも同様の意図を読み取ることができる。『福島を上演する』は長崎・福島・広島の三都市を「上演する」プロジェクトの一部で、前身となった『長崎を上演する』は2013年から2016年にかけて上演された。すでにプロジェクトの開始からはおよそ5年が経過しており、「広島」にも同じ程度の時間がかけられるならば、全体としてはおよそ10年間のプロジェクトになる。基本となる方法論自体はプロジェクトを通して引き継がれているようだが、10年にもわたるプロジェクトの全体像を把握することが困難なことは言うまでもない。

 ある「私」が全てを知ることの不可能性。このことは、上演の形式にも強く関係している。2016年の『福島を上演する』の上演において、要素は極端に切り詰められていた。元体育館の空間をそのまま使い、パイプ椅子が4脚置かれただけのガランとした空間。そこに立つ俳優たちの演技もまた、限りなく削ぎ落とされたものだ。ときに棒読みにさえ聞こえる台詞と大雑把な動作。舞台美術どころか小道具も一切使われていないため、動作の多くは無対象、つまり、何もない空間に対して(そこに何かがあるかのように)行なわれる。リアルな虚構を作り上げようとする意志は感じられず、観客は乏しい手がかりを元に虚構を立ち上がらせるために、積極的に想像力を働かせることを求められる。

フェスティバル/トーキョー16 マレビトの会 『福島を上演する』 作・演出: マレビトの会

 

 ところが、その試みはしばしば失敗する。たとえば、昨年上演された「見知らぬ人」(作:松田正隆)には3人の人物が登場する。立って洗い物をしているらしい女性と床に座り込んで本のページを繰っているらしいまた別の女性、そしてその隣にただ正座している男性。ある家族の食後の風景、と思った次の瞬間、座っている女性がこう言う。「お母さん、なんか知らない人がいるんだけど」。
 観客の想像力を利用した、他愛ないと言えば他愛ない引っかけだ。しかしこの瞬間、笑いとともに現実がぐにゃりと歪むような感覚を覚えた。遊戯的な快楽とともに訪れる恐怖。私が信じた「現実」は呆気なくまた別の「現実」に取って代わられてしまった。戯曲として書かれ、観客が享受する(はずの)虚構と、俳優を含む舞台上の現実との結びつきの弱さが露わになった瞬間だった。

 だが、この弱さにこそ『福島を上演する』の方法論は賭けられている。舞台上の虚構の解像度の低さは、観客を信頼するがゆえのものだ。『福島を上演する』は、遠い隔たりを前になお想像しようとする力と姿勢を問う。「今ここ」にいながらにして「ここではない場所」を思い描き、「そこにいる人」に「そこにはいない人」を重ねて見る演劇的想像力。私は他人になることはできない。だが、そこに無数の誤謬が含まれることが避けられないとしても、それでも他人のことを想像することは、そう努力することはできる。観客に想像力によるある種の跳躍を要求しつつ、同時にその失敗をも前提とするアンビバレント。他者への倫理は辛うじてそこに存在するだろう。

 2017年の『福島を上演する』にはどのような展開が期待できるだろうか。上演空間の変更は一つのポイントだ。2016年の上演では、個々の俳優を中心として立ち上がる虚構の空間と、その背景として常にそこにあり続ける元体育館の広い現実の空間とのせめぎ合いがある種の力場を形成していた。だが、2017年の上演は劇場という匿名性の高い、しかもはるかに狭い空間で行われる。現実の空間は容易に虚構に覆われてしまうだろう。このような条件の下で、現実と虚構とのせめぎ合いをどのように成立させるのか。

 また、2017年版では、昨年は福島市内に限定していた取材範囲を県内全域に広げたという。3月の試演会で上演された戯曲には、2016年の上演戯曲と比較して、直接的に震災や原発事故に言及する場面が多いように感じた。ここで気になるのは、観客にとって完全に未知の事象が舞台に上げられたとき、想像力はどのように機能し得るのかという点だ。想像力が機能不全に陥るのならば、そのような事象を舞台に上げることにはどのような意味があるのか。他ならぬ私は、そのような事象にどう対峙できるのか。この問いに正しく答えることは難しい。だが、答えはもちろん決まっているのだ。

※森麻奈美「稽古場より:〈ゆるさ〉と〈強度〉のあいだで」(2016年『福島を上演する』当日パンフレット掲載)より


 

山﨑健太

1983年生まれ。演劇研究・批評。演劇批評誌『紙背』編集長。早稲田大学演劇博物館助手。「CoRich舞台芸術まつり!2017春」審査員。「現代日本演劇のSF的諸相」(『SFマガジン』2014年4月号〜2017年4月号)など、現代日本演劇に関する執筆多数。

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

マレビトの会『福島を上演する』作・演出:マレビトの会

©Keiko Sasaoka

過ぎ去っていく数々の「出来事」から、福島の「いま」を垣間見る  
複数の作家が福島に取材し書いた戯曲を、いかに現在の「出来事」として劇場に立ち上げるのか。ごくシンプルな空間で、俳優の身体のみを使い、各エピソードにつき一度きりの上演に挑戦したマレビトの会『福島を上演する』が、昨年に引き続き、フェスティバル/トーキョーに登場する。続きは→

会場:シアターグリーン BASE THEATER
日程:10月7日 (土) ~ 10月15日 (日)※休演日10/10 (火)、10/11(水)
詳細は公式HPへ

松田正隆(マレビトの会代表)
1962年長崎県生まれ。2003年、演劇の可能性を模索する集団「マレビトの会」を結成。主な作品に『cryptograph』(2007)、『声紋都市—父への手紙』(2009)、写真家笹岡啓子との共同作品『PARK CITY』(2009)、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』(2010)、『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』(2012)、『長崎を上演する』(2013−16) などがある。立教大学映像身体学科教授。


実験と対話の劇場 - 新しい人 / 出来事の演劇 –

参加アーティスト:演劇計画・ふらっと、 / シラカン / 関田育子 / 玉城大祐
キュレーション:松田正隆

jikkenn
(c) Tadashi Ueda

いま、ここで、生まれ続ける「演劇」を捕まえる
劇作・演出家で、立教大学でも教鞭をとる松田正隆が4組の若手アーティストに声をかけ、自身も強い関心を寄せる「出来事の演劇」をテーマにした実験と対話の場をひらく。
参加するのはいずれも、劇や空間設計の文法そのものを自覚的に利用、解体、再構築する20代のつくり手。本企画では、それぞれが60分以内の作品を創作、2組ごとに発表し、ゲストを交えたディスカッションにものぞむ。
目指すのは、単に戯曲の言葉を再現するのではない、その時その場で生まれる現象=「出来事」としての上演。それはまた、「戯曲を書き、上演する」という、ごく当たり前にも思える行為を解きほぐし、再検討することにもつながる。言葉、身体、空間、観客……演劇を構成するさまざまな要素、その間にある力学をいかに利用し、免れ、出来事を起こすか−−。つくり手と観客双方に新しい知覚、思考をもたらす探求と実践がここに始まる。

会場:あうるすぽっと
日程:11月3日(金・祝)~11月5日(日)
詳細は公式HPへ


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


こちらもお読み下さい

中野成樹×福田毅 男ふたり、ぶらり街歩き in 松戸

ディレクター・メッセージ: フェスティバル/トーキョー17開催に向けて 「新しい人 広い場所へ」