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Director’s Message
ディレクターメッセージ


成長し、変化していくフェスティバルであるために

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、舞台芸術のフェスティバルでありながらも、2009年のスタートから、劇場作品の招聘、プロデュース、共同製作と並行して、いかに劇場からまちに出るか?という模索を続けてきた。ディレクターが交代しても揺らぐことのなかったこの大きな方針の背景には、東京都によるオリンピック・パラリンピックの誘致から2021年の東京2020大会まで、F/Tがオリンピックの文化プログラムのひとつに位置付けられていた、という事実がある。


オリンピック以前、コロナウイルスの感染拡大が起こる前は、海外から観光目的で日本を訪れる人々に対して、日本を含むアジアのアーティストの作品に触れられる機会となることが、フェスティバルに強く求められていた機能である。東京は観光地なのか。観光旅行の中のひとつのアクティビティとして、フェスティバルでの観劇体験がリストに入ればそれでいいのだろうか。もちろん、そういった側面も重要だ。国内の他の国際的なアートフェスティバルにもそのことを主眼においているところもある。


しかしながら、私たちが主な開催地としている豊島区は、そう単純なところではない。東京の中でも有数なターミナル駅を有し、国内外からの旅行客も訪れる。その一方で、何世代もそこに暮らしている地元の方々もいて、海外からの留学生や就労者も多く暮らしてる。一言で言えない、多面的なまちであることが特徴ーー。そのようなエリアで、「たくさんの人が体験できる文化プログラム」を実現することは、毎回一筋縄では行かなかった。でもだからこそ、F/Tの12年間でアーティストたちが重ねてくれた試行錯誤と、それを実現するまでのプロセスは今後の都市型フェスティバルに引き継がれるべき大きな財産である。


この機会に、「フェスティバルが、どのようにしてまちに出ていくか?」にポイントを絞って、私がフェスティバルの仕事を通して考えてきたことを残しておく。


はじめに、少なくとも日本では、舞台芸術に関わるアーティストやスタッフの多くが劇場での公演を得意としており、屋外で、それも東京のど真ん中で公演を成立させた経験をもつ人が決して多いわけではない。ましてや、突如として街の中に舞台美術が出現することも、イヤホンをつけ、地図を片手に回遊する観客を目にすることも、日常的にその場所に暮らし、通学、通勤している人にとっては、経験のない出来事である。この、みんなが経験の浅い状況であることを前提に考えることが大切だった。そしてみんなが経験を積んでいくためには、まずはフェスティバルのことを「年間の恒例行事」や、その手前の「知っている存在」にしていく必要があったのだ。


F/Tがフェスティバルを開催していない時期も含めて、まちの人たちに覚えておいてもらえたのには、ひとつの大きな存在があった。立ち上げのタイミングから2016年までメイン会場のひとつを担ってきた、「にしすがも創造舎」だ。中学校の校舎と体育館を文化拠点として再生させた施設で、地元には、その学校の出身者がいる。出身でなくても、学校名を言えば大凡の場所が伝わり、秋のフェスティバル以外にも、家族向けのアートプログラムを開催することで「○○を観に行くための場所」として定着していく。アーティストや舞台芸術関係者にとっては、リハーサルから上演まで行うことができるので、通い、つくる場所になっていく。実際に、クローズから5年以上経った今でも、創造舎の名前を出すことで、伝わることもあることからも、創造舎が果たした役割は大きかったことが分かる。


次にアーティストやスタッフと、劇場の外でどうやって一緒につくっていくか、ということだ。劇場では、観客は「観る」ために訪れるが、外ではそればかりではない。劇場は作品のための守られた空間であり、音も明るさも作品のためにコントロールできる。しかし、まちではそのコントロールを手離さなくてはいけない。大きな声も都市の喧騒で掻き消され、偶然そこを通りかかった人からカメラを向けられることもある。そして、見落としがちなことは、広く囲われた会場での作品であれ、ツアーのようにまちを歩くプロジェクト型の作品であれ、その場所を選んだ意味が劇場作品のツアー公演よりも強く反映されてしまうことだ。そこで上演作品を先に決めて、それに合う場所を探すのではなく、上演される場所ありきで作品・プロジェクトをつくる、この順番をおすすめする。


では、場所からインスピレーションを得たアーティストのアイデアを、すべて汲んで進めることを目指すのか。問われれば、答えはノーである。前述したように、まちは劇場ではない。誰かの日常生活の一部を間借りしているに過ぎず、劇場の中とはルールも違う。よって、舞台関係者以外の人とアーティストないしフェスティバルスタッフがコミュニケーションをとる機会がぐっと増える。おそらく、F/Tでまちに出ていくプログラムを実現する上で大切にしてきたことは、この対話であり、その場所や取り巻く人たちをリスペクトし、クリエーションを進める姿勢である。


最後に、特殊なケースではあるが、2019年からの世界的なコロナウイルス感染拡大を受けた時期のフェスティバルについて触れておく。フェスティバルにとって、人が集うことを避けなければいけない事態は、とても苦しかった。多くの世界中のフェスティバルが、中止や延期を余儀なくされる中で、私たちは、それでも「やれる形で実施する」ことを選んだ。大々的に集まることはできないが、1人でも楽しめる方法をアーティストとともに模索した。オンラインで演劇・ダンスの配信や、1人でも参加できるアートプロジェクトの開発を行った。これらを通して、舞台芸術に興味があっても何らかの事情で、その日その時に会場に来られない人にもブログラムを楽しんでもらうことができたし、また海外に向けても日本のアーティストを紹介する機会になったことだ。形として「まちで大きなプログラムを実現」するのとは異なっているが、1人1人の生活の中にフェスティバルが入っていけたのではないかと思う。


ずっと生き残っている「劇場」という堅固なシステムと、日々変化していくまち。どちらもフェスティバルの大切なパートナーであったからこそ、11年もの間、成長し続けることができたのだ。



武蔵野美術大学卒。劇団制作として、新作公演、国内ツアー、海外共同製作を担当。企画製作会社勤務、フリーランスを経て、2007 年、NPO 法人アートネットワーク・ジャパン(ANJ)入社、川崎市アートセンター準備室に配属。「芸術を創造し、発信する劇場」のコンセプトのもと、新作クリエーション、海外招聘、若手アーティスト支援プログラムの設計を担当。また同時に、開館から 5 年間にわたり、劇場の制度設計や管理運営業務にも携わる。2012 年、フェスティバル / トーキョー実行委員会事務局に配属。日本を含むアジアの若手アーティストを対象とした公募プログラムや、海外共同製作作品を担当。また公演制作に加え、事務局運営担当として、 行政および協力企業とのパートナーシップ構築、ファンドレイズ業務にも従事。2015 年度より副ディレクター。2018 年度より共同ディレクター。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師(2017 年~2021年)。東京芸術祭2022直轄プログラムFTレーベルプログラム・ディレクター。

河合千佳