個人の声が街を変え、公共空間を作る――2年目のガリ版印刷発信基地
昨年のフェスティバル/トーキョーで大盛況だったあのリソグラフ印刷工房が、今年も大塚の街に戻ってきます。「とびだせ! ガリ版印刷発信基地」は、普段は品川区西小山で営業しているリソグラフと木工のスタジオ「Hand Saw Press」がディレクションする、誰でも気軽にZINEの制作と発表ができるスペース。今年は大塚の基地に加え、印刷機を積んだトラックが街に飛び出し、Pop-up ZINEスタンドも豊島区内の公園や図書館に設置されるなど、参加者の密集を避けつつ新しい出会いを促す仕掛けを準備中なのだそうです。
ここでまずZINEとは何かを改めて確認しておきましょう。ZINEとは一般に英語で「有志の個人または小さなグループによる非営利・少部数の自主制作出版物」のこと。自主出版というと、日本ではミニコミ、同人誌、リトルプレスなど、さまざまな呼び名のもとに豊かな文化が育ってきましたが、それらと重なるものです。冊子になっているものもペラ一枚のものも、変わった形態のものも、無料配布されるものもお値段がついているものもあり。何をもって非営利とするのか、何部まで少部数と言えるのか、はっきりと定義するのは無理だし、近年は有名人や企業がZINEと称して高価な出版物を出しているケースもあるけれど、基本的には経済的な利益をあげることを目的とした商業出版や企業広報誌とは別の、小さな出版がZINEだと筆者は考えています。「上から下へ」「中央から周縁へ」のピラミッド構造を持つマスメディアとは異なり、ZINEは個人と個人がつながり、情報が横に広がっていくことを促します。「自分たちがやりたいからやる」DIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)のオルタナティヴ・カルチャーと共にある出版活動なのです。
こうした気軽な少部数の出版によく利用されている印刷手段のひとつがリソグラフです。いわゆる「ガリ版」と同じ孔版印刷の原理を利用した、比較的安価にたくさんの枚数を刷ることができる、理想科学工業の簡易印刷機。ガリ版はロウ原紙に鉄筆で文字や絵を刻む(ガリを切る)手作業で原稿を作成しますが、リソグラフはその必要がなく、コピー機と同じような感覚で手軽に印刷することができます。日本では学校のプリントやチラシ印刷など身近なところで大活躍していますが、海外ではシルクスクリーンに通じる芸術的な表現手段として注目を集めており、アーティストが運営して作品制作に利用するリソグラフ・スタジオが世界各地に存在しています。
Hand Saw Pressの安藤僚子さんと菅野信介さんは、東京を拠点にこうした海外のリソ・シーンとつながり、自由な表現を応援するインディペンデントなリソスタジオとして活動を続けてきました。昨年の「ガリ版印刷基地」では、普段から職業としてアーティストを名乗っているわけではないかたがたの豊かな創作意欲におおいに刺激を受けたそうです。
F/T19『ひらけ!ガリ版印刷発信基地』
安藤僚子(以下安藤)「最初はみんなZINEなんて作ってくれないんじゃないかな? 自分の想いを書くなんて興味ない人が多いかな? と思っていたんだけど、全然そんな心配いらなくて。会期が1か月あったんですけど、2週間を過ぎたぐらいからリピーターも増えてきました。たぶん地元のお母さんネットワークがすごくって。子どもと一緒に来たお母さんが保育園で『こんなのやってるのよ』って作ったZINEを見せるところからどんどん広がっていったり。ひとりで淡々と作っていって、おしゃべりはしないけどZINEの交換はやたらしていってくれるおじさんがいたり。みんなのモチベーションの高さに感動したっていうのはありましたね」
菅野信介(以下菅野)「最初はみんなでZINEを作るワークショップとかもやってたんですけど、それが全然必要じゃないっていうぐらい常に人が来るようになりました。こっちがそんなに用意しなくても楽しんでくれるようになったのは嬉しい誤算というか。もちろん最初にイベントをやったから来やすくなったのかもしれないけど、アーティストを呼んでそのファンが来る、みたいな感じではなくて、純粋にそういう作る行為を楽しんでくれる人が多かった」
F/T19『ひらけ!ガリ版印刷発信基地』
ガリ版印刷基地は大塚駅南口のサンモール商店街を入ってすぐというロケーションも魅力的です。古くからの個人商店が残り、さまざまな文化的背景を持つ人々が行き交います。昨年、訪れた人々が制作したZINEで埋め尽くされて壮観だった角のスペースは、今年も同じように開放される予定。リソグラフ印刷機を設置していたスペースでは、今年の春から新しいカレー屋さん「トミヤマカレー」が営業しています(昨年のガリ版印刷発信基地のイベントが店主さんと物件の出会いのきっかけとなったそう)。その代わり今年は、一本裏の路地にある元食料品店の物件を借りることができました。
安藤「斜め前が昔からやってるような魚屋さんで、八百屋さんとお蕎麦屋さんもあって。去年、商店街のかたがたとつながりができたので、ご紹介いただけました」
菅野「去年は印刷が追いつかないぐらいに人が来てくれて、最後のほう僕は印刷のオペレーターみたいな感じになってた。今年は、スタッフも増やして、作り手のかたともうちょっとコミュニケーションが取れるといいな、と思ってたんですけど、人が集まるのが難しい状況になってしまって……。密にならないような対策をしたうえで、来て楽しんでくれたらいいなと思います」
今年の新しい試みとして導入されるのが、Pop-up 印刷トラックと Pop-up ZINEスタンド。印刷機を載せる軽トラックの荷台部分の小屋のような構造と、それぞれの設置場所に合ったスタンドが制作されます。安藤さんは空間デザイナー、菅野さんは建築家としてお仕事をしていますから、そうした作業はお手の物でしょう。
安藤「去年の感じだと人がいっぱい来て密になっちゃうから、どうやって人を分散させたらいいかなと考えて。去年は理想科学工業さんがリソグラフを1台貸してくれたんですけど、それだけでは足りないくらい盛況でした。なので2台目、普段使っているインクのドラムが2個入る印刷機でなくて、単色の小さいやつを自分たちで買っちゃったんです。それは大人が3人、4人ぐらいいれば上げ下ろしができる。それをトラックに積んで、公園とかいろんなところに出張するのがいいんじゃないかというアイデアが今回のはじまりでしたね。だったら大塚だけじゃなくていろんなところにPop-up ZINEスタンドを設置しようということで、その場所を探しました」
前回はまさにみんなが集まる基地だったのが、今年はいろいろな場所にZINEを届けるディストリビューション(流通)のはたらきも担うようになるのです。豊島区内に加え、小田晶房さんが運営するHand Saw Press京都をはじめ、東京の外のスペースとの連携も図ります。作者の肉体から離れ、時間と空間を超えてそっとメッセージを伝える、ZINEのメディアとしての力が改めて浮かびあがることになりそうです。
安藤「Pop-Up ZINEスタンドは豊島区内の10何か所かに設置されるんですけど、バンド仲間だったバイクメッセンジャーのYukiさんがそこをずっと回って原稿の回収とZINEの配布をしてくれるんです。トラックの運転手は、劇団『ままごと』のプロデュースをやっている宮永さんが担当してくれます。演劇の人たちって、人を前にしたときのホスピタリティが半端ない。その人たちのアドバイスも自分たちには無い目線だったりするので、それも刺激になっています」
公園や図書館などでの出張営業の実現には、豊島区の文化デザイン課が協力してくれたとのこと。これまでインディペンデントに活動してきたHand Saw Pressとしては、そうした公共の場に積極的に介入していくのも新たな挑戦です。
F/T19『ひらけ!ガリ版印刷発信基地』
安藤「いま東京では、オリンピックが予定されていたというのもあって、パブリックスペースの開発が進んでいますよね。街がどんどんきれいになって、それは悪いことじゃなくていいことなんだけど、同時に不安もあります。マジョリティな人たちが楽しめる場みたいなものは増えてるんだけど、公共の場ってそうじゃない、もっとボーッとした人も居られる場所であるべきなんじゃないか? って。そういうところに自分たちがトラックと一緒に出ていってどんなことになるのか、なんとなくソワソワするというか。もちろんいつもと違う場所でどんな人と出会えるのか楽しみなんですけど」
菅野「僕は割と楽観的というか。『こうあるべき』みたいなのがあんまり無いプログラムだし、参加人数が何千人だったから成功とかそういう話でもない。個人が作るものをメインに置いているので、それをなるべく全部掬い上げるようにしていれば、楽しいZINEはいっぱい出てくるかなって感じはします。『取っていっていいフリーペーパーがたくさんある』みたいな感覚で終わらずに、自分も何か書いて発信して交換できる喜びみたいなところまで楽しめる人が今年も出てくるといいな」
舞台芸術のフェスティバルにZINEの印刷所を設けるというのは、異色の試みに違いありません。しかし、限られた数の人々が同じ時間と空間を共有する演劇やダンスのパフォーマンスと、ひとりひとりが小さなメディアを介して場を作っていくという行為には、確かに通じるものがあるように思います。どんな風に活用するかはあなた次第。期間限定で出現する新しい情報の流れは、誰もが心に秘めている創作意欲を刺激して、見慣れた街の風景に新鮮な空気を吹き込んでくれることでしょう。
Hand Saw Press ハンド・ソウ・プレス
リソグラフの印刷機と木工工具のあるD.I.Yスペース。建築家の菅野信介(アマラブ)、空間デザイナーの安藤僚子(デザインムジカ)、食堂店主の小田晶房(map/なぎ食堂)という、バックグラウンドも得意分野も異なる3人が、東京と京都の2拠点で活動。本やZINEの出版、ポスターやアートブックの印刷、日曜大工など、場所とツールを町にひらくことで、人、都市、世界のいまとつながるものづくりを続ける。
野中モモ (のなか・もも)
ライター、翻訳者(英日)。著書に『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)、『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』(筑摩書房)。共編著書に『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代』(誠文堂新光社)。訳書にレイチェル・イグノトフスキー『世界を変えた50人の女性科学者たち』(創元社)、ロクサーヌ・ゲイ『飢える私 ままならない心と体』(亜紀書房)など。2007年にオンラインショップ「Lilmag(リルマグ)」を開店。ZINEをはじめとする自主出版の振興活動をおこなう。
パスポートはZINE。
人とまち、世界につながるF/Tの発信拠点
とびだせ!ガリ版印刷発信基地
ディレクション | Hand Saw Press |
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日程 | 10/16 (Fri) - 11/15 (Sun)計19日程度開催 |
会場 | ガリ版印刷発信基地、ZINEスタンド、Pop-up 印刷トラック、Pop-up ZINEスタンド |
詳細はこちら |
人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20
名称 | フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2020 |
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会期 | 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか ※内容は変更になる可能性がございます。 |
概要
フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。