2008年、死にゆく人々の姿を通じて「生」とはなにかを提示した戯曲『生きてるものはいないのか』で第52回岸田戯曲賞を受賞、また小説『夏の水の半魚人』にて、文学の前途を拓く新鋭の作品に贈られる三島由紀夫賞、NHKドラマ『お買い物』にて優れた放送作品に贈られるギャラクシー賞を受賞するなど、演劇界のみならず、文学界、放送界とジャンルを横断し常に話題を呼んできた前田司郎。その独特の語り口と脱力系のゆるやかな世界観は、幅広い層から圧倒的な支持を得ている。
今回の新作『迷子になるわ』のタイトルは、前田司郎自身の迷子宣言。五反田団主宰として数多くの戯曲を発表してきた前田が劇作家として迷子を選ぶ、その行方は? 新境地に期待が高まる。
演出ノート
前田司郎
改めて言うほどのことではないのかも知れないが、まだ全然何も考えてない。今回の戯曲について。時代劇をやろうかと思ってたけど、今はそんなにやりたくない。戯曲を初めて書いたのは16歳の時で、僕は今33歳だ。その間に多分30本近い戯曲を書いた。正確な数は数えたくもない。それくらい同じことを繰り返していると、嫌でも上手になる。僕は戯曲を書くのが得意になってしまった。だから駄目だ。培ってきた技術と経験であたりさわりのない良い戯曲が書けてしまう。笑って泣ける戯曲? そんなのは偽物だ。劇作家としての僕は今、迷子になりたい。このまま何も考えず大通りを行くわけにはいかない。大通りは大きな町に繋がっていて、そこで大儲けすることも出来るのかも知れないけど、そんなのは僕以外の人がやれば良い。大通りを行く戯曲など技術と経験さえあれば誰にでも書けるのだから。だから僕は迷子になってでも、とにかく今は、不安の中にいないといけない。よくわからない細道に進んで入っていかないといけない。そこに入って行ってそのまま行方知れずになった作家を何人か知っている。でも、大通りだけを歩いている人たちよりはそっちの人たちの方が好きだ。僕は迷子になっていてもきっと生還するぞ。だから今は迷子の人間にしか書けないものを書けば良い。今回はというか、しばらくはそういう迷子な戯曲が書けていれば成功である。だから今回の戯曲は「しばらく迷子になってきます」という宣言でもある。
あらすじのようなものを書こうとしていた、と言ったら信じてくれますか? 僕はここにあらすじを書こうとしていたのだった。ところが、あらすじとしてまとめられるような戯曲を僕は好きではないから、結果こういうことになる。
企画書の文章としてはかなり失敗しているだろう。ここの文章からしてかなり迷子になっている。でも、本当に制作の人とか俳優の人とか嫌が応にも僕と関わらないといけない人たちには申し訳ないのだけど、ちょっと、しばらく、迷子になるわ。