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本プログラムについて

作品について

3.11はぼくたちをガラパゴスの微睡みから叩き起こした。地震と原発がもたらしたあらゆる被害は、戦後日本が抱え込んできた諸問題をきわめて具体的に現代へと召喚した。 たぶん、ぼくたちは目覚め、変わらなければならないのだろう。しかし、どうやって?  知りたいのは、ぼくたちとこの国に何が起こったのか、ということ。そして、ぼくたちとこの国はいま、どんな姿をしているか、ということ。 ぼくたちは、今まででもっとも苛酷な自画像を描くために、秋葉原で制作をはじめた。

黒瀬陽平

10年代のアートを体現する、カオス*ラウンジの活動

ネットを中心に活動するアーティストたちが集まる、カオス*ラウンジ。2008年にアーティストの藤城嘘が展覧会&ライブペイント企画として立ち上げたところからはじまり、 2010年から黒瀬陽平がキュレーターとして参加して以降、さまざまなプロジェクトを展開し、日本現代美術の歴史や文脈に対する批評的な活動で議論を呼んできた。

2010年4月に『カオス*ラウンジ in 高橋コレクション日比谷』を開催。これまでアートとして可視化されてこなかったネット上に栄える特殊なキャラクター表現と、その担い手たちをギャラリーに召喚した。そして5月、第二弾の企画として、ネットワーク上で遊ぶ「ギーク」が会場に常駐する『破滅*ラウンジ』を開催し、彼らの生態そのものを展示する手法が物議を呼んだ。同年12月には、『【新しい】カオス*ラウンジ【自然】』を開催。『破滅*ラウンジ』で可視化されたインターネット上の生成空間を、「ヨドバシカメラ」や「ドン・キホーテ」などの日本の商業空間に重ね合わせることで新たな展覧会の形を模索した。2011年には、ネット上で生まれ増殖していく架空のキャラクター「荒川智則」を主人公に、ネットで生放送するドラマを制作し、東京ワンダーサイトで発表。展覧会場を舞台化(ネット配信のためのスタジオ化)することで、ネットワークへの回路を探り、日本のネット/オタクカルチャーが持つ独自のシェアリング精神に形を与えようとする試みを行った。

そのほか、ホテル「カオス*サンライン」(蒲田)の内装(3部屋)への取り組 みや、ファッションブランドとのコラボレーションなど、実用的なデザインとアートの境界を越えた活動も幅広い。

震災以降の「キャラクター文化」

TVアニメ、劇場アニメ、コミックス、ゲーム業界など、戦後日本のコンテンツ産業は、独自の方法で時代や社会を反映し、発展を遂げてきた。カオス*ラウンジは今回、あらためて、彼らの出自である「キャラクター文化」に言及する。

東日本大震災は、日本社会に大きな傷跡を残し、多くのものが失われた。キャラクター文化は、未曾有の大震災という「大きな物語」を共有したあとで、3.11以降断絶してしまった現実にどのように応答しうるのだろうか? 

本作のタイトルにある「イグザイル」とは、亡命、追放、さすらう人などの意味を持つ。舞台は、今もテーマパークのように賑わう、現代日本を象徴するキャラクター文化の聖地・秋葉原。震災以降、時が止まったかのようなこの場所で、無数のキャラクターたちとともに新たな現実への回路を探る、カオス*ラウンジの最新作。

創作ノート

ぼくたちにとって「キャラクター文化」は、常に身近で、わかりやすく、ありふれていて、まぎれもなく大衆的な表現である。と同時に、そこでは極限まで複雑化した文脈が折り重なり、いびつで過激な表現の実験が当たり前のように行われる領域でもある。

キャラクター表現そのものが持つ宿命的な単純さ、わかりやすさと、その歴史的文脈や需要環境をめぐる圧倒的な複雑さ、わかりにくさ。この二面性を保ち続けながら、キャラクター文化は社会との接点を持ち、時代と並走する表現として歴史を刻んできた。 そしてそのなかで練り上げられたキャラクターは、社会や共同体の記憶、無意識を可視化し、保存し、遠くへ運ぶメディアにもなっている。「悪い場所」としての日本のなかで、キャラクターは数少ない歴史と記憶のメディアなのである。

東日本大震災が日本に与えた影響は、当然ながらすでに、キャラクター文化全体にも深い傷を残しているはずである。しかし残念ながら、現状のキャラクター産業には、その傷と向かい合うような兆候はほとんど見当たらない。 やはり今回の震災と原発の衝撃は、今までどの時代のキャラクター文化も受けたことない、「未曽有」のものなのかもしれない。もしかすると、現代日本のキャラクター文化は、この衝撃を受け止めきれないのかもしれない。

もしそうだとしても、カオス*ラウンジは、キャラクター文化の片隅から声を上げる。ぼくたちが試みるのは、徹底してキャラクターを描くことで震災後の世界を捉えることである。人間が思考停止に陥るほどに捉え難くなってしまったこの世界を、キャラクターのあっけらかんとした「わかりやすさ」で描くことである。

黒瀬陽平