写真/演劇へ。切り取り、留めさせるもの
あたまのうしろ
ヒッピー部 [日本]
構成・演出:三野 新
11月14日(水)~ 11月18日(日) シアターグリーン BASE THEATER
フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
あたまのうしろは、恐ろしい何かに満ちている。
子どもの頃、風呂場で髪を洗う途中、後ろを見るのが怖かった。
徐々にうしろを振り返ろうと、シャンプーのついたままの頭をもたげる。
頭の中では、すでに怖いイメージでいっぱいだ。おもに幽霊、身近な死んだ人・・・。
意を決して、ふっと、一気に振り返る。
振り返った先に見えるものは、いつも決まって風呂場のドア。
何もいない。いつも通りの平凡な風景。
ただ、何かが、何モノかが、ついさっきまでいたのかもしれない。
もし決心するタイミングがもっと早ければ、見えたかもしれない。
そんな不安は、拭えない。
油断すると、いつまたどこかで、きっとあたまのうしろをうろついている、
眼には見えない何か、何モノか。
僕は、大人になって、そんなモノをずっと探している。
写真を撮る、という身体行為を続けるうち、一つのある疑問にいつも悩ませられる。
それは、なぜいまこの瞬間なのか、ということ。
つげ義春に描かれた『無能の人』の主人公は多摩川の河川敷で拾った石を、同じ多摩川の河川敷で売る。
僕の撮る写真はきっとそんな石の一つなのだ。
いつもそこにあるものなのに、あえてそこを切り取り、人々に提示する理由はなにか。
そこで選ばれた石たちは、いま目の前にあるから、という理由しか究極的には見当たらない。
ふとシャッターを切ったあと、見続ける風景の先に、
子どもの頃に恐れた何かが、横切った気がする。
三野新