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報じられない現実から生み出される、ラディカルな思考空間

たった一人の中庭

ジャン・ミシェル・ブリュイエール / LFKs [フランス]

10月27日(土)~ 11月4日(日) にしすがも創造舎

本プログラムについて

フランスの異才による問題作 ついに日本初上陸

 フランス人アーティスト、ジャン・ミシェル・ブリュイエールが率いるLFKsは、詩人兼俳優、作曲家、哲学者、民俗学者、医師など、さまざまなジャンルの専門家からなる、異色の多国籍アーティスト集団だ。
 彼らが、欧州に約240カ所も点在する移民キャンプの問題を正面から扱い、それを批評的かつ芸術的に再構成した展示形式の演劇作品『たった一人の中庭』。数々の国際フェスティバルの中でもひときわ異彩を放ち評判を呼んだ問題作が、ついに日本に初上陸を果たす。 本作は、メディアが伝えない複雑な移民問題の現実を単純化せずに人間の知覚へと訴え、思考へと導くと同時に、その一連の芸術行為そのものが現実に対するアクティビズムとして機能・作用している作品と言えよう。
 今回は、移民キャンプを想起させるテント内でのパフォーマンスや、機械仕掛けのベッドが一直線に並ぶ『ダマステスの道』、そして、東京での滞在製作から生まれる新作もあわせて、にしすがも創造舎の敷地をほぼ丸ごと使った、新しい「思考のための空間」を誕生させる。観客は決められた順路に従い、開館時間内に自由に作品を鑑賞する。五感をフルに使って、作家のメッセージを体感したい。

フランスの移民政策における闇

 19世紀後半から始まった出生率の低下に加え、第一世界大戦以降、人口を著しく減少させたフランスは、大量の移民を受け入れていた。特に第二次世界大戦後の「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945~75年)には、安価な労働力が必要とされ、スペインやポルトガル、北西アフリカ諸国(特にアルジェリア)から大量の移民が集まった。彼らの多くは炭坑や自動車工場の労働者として働き、経済成長を支えた。
 しかし、オイルショック後の74年、当時の政権は突然、国境の閉鎖と、就労を目的とする移民の受け入れ停止を決定する。その背景には、オイルショックによる経済不況だけでなく、低賃金で過酷な労働が外国人労働者の職場として固定化したこと、劣悪な環境の居住地域の形成、さらには労働者たちによるストライキなどの発生、新たに生まれた社会問題があった。
 不況下で移民労働力への需要が減少すると、移民は国に必要な「労働者」ではなく、社会の「異質」な要素として認識されるようになった。そんななか、政府は、1976年に帰国奨励政策を開始する。これは志願者全員に1万フラン(約20万円)の奨励金を支給し、本国への帰国を促すものであったが、効果はみられず、移民の数は増加し続けることになった。

不法移民の流入とキャンプの形成

 昨今、ヨーロッパにおける移民数はEU人口のわずか1.6パーセントとされる。にもかかわらず、サルコジ前フランス大統領は、2008年、移民選抜政策に乗り出し、実に73パーセントもの移民の定住を拒否。結果、行き場のなくなった人々が一時的に住む「移民キャンプ」が増加することとなる。さらに09年に政府は、「2万7千人の非正規滞在外国人を国外追放する」と宣言し、右翼化する国民たちを煽った。抑圧された移民たちは、裁判によって守られることもなく、留置・拘留を余儀なくされ、現在も人権を無視した劣悪な環境にさらされている。国民一人ひとりに主権があるという基本的な民主主義の原則と相反し、選別をすることで社会を正当化しようとするヨーロッパの現状がここにある。


寄稿
ジャン・ミシェル・ブリュイエール 収容所・演劇・人間


藤井慎太郎

 1959年にフランスに生まれたジャン・ミシェル・ブリュイエールは、1990年から2006年までの長きにわたって、セネガルの首都ダカールを拠点として活動していた、それだけでも異色といってよいアーティストである(現在はベルリンを拠点としている)。かつての植民地が政治的に独立した後も、旧宗主国に依存し、植民地主義が姿を変えて温存されるのを目の当たりにしてきたためであろうか、政治性の強い(だが芸術であることを放棄しない)作品を発表してきた。LFKs(La fabriksを略したもので、もともとは「製作所」「生産現場」などを意味する)という集団の名の下に、複数の領域にまたがる人材(アーティスト、デザイナー、俳優、作家、哲学者・・・)を集めて、公共劇場制度からは距離をとりつつ、主にフェスティバルにおいて領域横断的な作品を発表してきた。とりわけ2002年、2004年、2005年、2009年、2011年と正式に参加したアヴィニョン演劇祭は重要である。

 2012年のフェスティバル/トーキョーで発表される『たった一人の中庭』(Le Préau d'un Seul)は、そもそもは2008年から2010年にかけて、ベルリン世界文化会館、アヴィニョン演劇祭、リンツ欧州文化首都、デ・シンゲル(アントワープ)などにおいて発表されたインスタレーション・パフォーマンスであり、私が立ち会うことができたのは2009年のアヴィニョン演劇祭にて、かつて鏡を製造していた町工場(La Miroiterie)で「上演」されたものである。不快なほどに暑くて息苦しい会場に入るとすぐに、床に書きつけられた"choisir son camp"という言葉を目にするのだが、これこそが『たった一人の中庭』の中心的な主題でもある。 それは、文字通りには「自らの宿営地(キャンプ)・陣営を選ぶ」、そこから「どちらにつくのか自分の立場をはっきりさせる」ことを意味するようになったフランス語の慣用表現なのだが、問題はこのcampがかつての強制収容所(camp de concentration)、今日の難民収容所(camp de réfugiés)のことでもあり、今日の社会の見えない中心となっていることなのだ。

 

 さらに歩みを進めることにしよう。あるところでは、アクション・ペインティングを思わせもする巨大な抽象絵画がまさにつくり出されている現場に立ち会う。だが血のような赤と汚物のような黒の塗料を用いて絵を生み出しているのは人間ではなく、尖端にスポンジをつけた1本の電動アームである(この機械自体が「彫刻」であるとされる)。別の部屋には、20台ほどの医療用と思われる電動ベッドが、人間(患者)も不在のままに整然と一列に並べられ、一斉にその面を上下させ、奇妙なダンスを繰り広げている。無意識や偶然性を導入し、芸術家の主観性や権威を排除することに努めてきた20世紀以降の現代芸術の皮肉な到達点を表すかのように。最後の部分でようやく目にすることができる人間の姿もしかし、人間性を感じさせないか、人間性を奪われてしまっている。極度にやせ細った黒人男性が裸でベッドに横たわり、白衣とマスクに個性を隠された人間らしからぬ人間に「診察」を受けている。あるいはシュレッダーの紙くずから作ったような、かぶり物をまとった人間が、ほとんど理解不能な会話を交わしている。
 この作品は、見る者のうちに問いを触発せずにはおかない。現代社会は、異質なものの存在を許容せず、抑圧し、隔離し、不可視化し、抹殺しようとしてきたその過去から、本質的には変化していないのではないか? 政治的には収容所、医学的には隔離・無菌状態、芸術的には脱人間化された作品が、あいかわらず必要とされ、究極においては理想とされ続けているのではないか?  ここで収容所と呼ばれる隔離と不可視化の装置が指し示しているのは、決して私たちの社会における例外的領域ではなく、逆に社会を社会として成り立たせている構成原理そのものなのではないか?  私たちの自由で民主的で人間的な社会は、収容所の礎の上に、人間性を奪われた人々の沈黙の上に、築かれているのではないか? ならばそのとき私たちは、演劇は、どの陣営/収容所を選べばよいのだろうか?