フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
ソウルとニューヨークで演劇を学んだ演出家ユン・ハンソルを中心に2006年に結成され、社会への深い問題意識と鋭い風刺を含んだ作品を発表し続けるグリーンピグ。 2010年にソウルのトータル美術館において上演された本作は、朝鮮戦争を生き残った人々の言葉や史実、思想書などからの引用で構成されたテキストと既存の歴史的建造物を利用した空間構成からなる作品。観客が博物館をツアーするかのような特殊な上演形式によって、「語りえない記憶をどのように語るか」という問題と対峙し、話題をさらった。フェスティバル/トーキョーでは、かつて中学校だった「にしすがも創造舎」全体を使い、本作の東京版を製作・上演する。タイトルの『ステップメモリーズ』は、「事実を元にしていない記憶の再構成」(上演台本より抜粋)を意味する造語である。
1950年に勃発し国を南北に分断、いまだ終結を見ない朝鮮戦争。韓国現代社会に深い影響を与え続けるこの出来事を、画一化された戦争のイメージの踏襲や、犠牲を記念した昇華に陥ることなく、どのように語ることができるのか。 グリーンピグは、朝鮮戦争の記憶を抱えた生存者と現代社会との断絶や、被害者と加害者双方のトラウマに目を向けつつ、いくつもの断片的なシーン、音楽、映像によって、国家や民族の歴史から追いやられた人々の記憶を観客の前で実体化させ、「証言」することを試みる。ユン・ハンソルは「この戦争を語ることは、記憶を語ることだ」と言う。観客は記憶の再現に立ち会うのではなく、記憶との対話の時間を過ごすことになるだろう。
東京版の創作にあたっては、新たに日本人の出演者を加えるほか、近隣住民へのリサーチをもとにかつて映画撮影所や中学校だった「にしすがも創造舎」に固有の歴史も作品に取り込み、会場全体を使ったサイト・スペシフィックなパフォーマンスを展開する。そこでは、日韓の歴史、そして東日本大震災後の東京、日本の状況が否応なく作品に照射され、今まさに必要な想像力を観る者に喚起する。今を生きる私たちが、これからどのように現実や記憶を語り、向き合っていくのか。本作はその問いに一つの示唆を与える作品となるだろう。
記憶はいつもバラバラになり、歪んで保存される。 我々が韓国戦争―隠蔽されて抑圧されたモノ―を記憶することは、 また隠蔽されて歪まれる記憶の過程を繰り返すことになる。 我々がすべきことは抑圧された記憶の回復ではなく、感覚を回復することだ。 骨が埋まっている土地に立っている感覚を回復することだ。
戦争を扱った作品の多くは、歴史的な事件の本当の意味を伝えるよりは、定型化された象徴的イメージを踏襲し、苦痛の記憶を軽くする。犠牲を商品として記念したり、一種の世俗的な殉教に昇華させずに、記憶を実体化することは出来るのだろうか。公演は出来事そのものと、それを記述する言語の乖離に注目する。そのために証言を用いる。 証言は独白ではなく、それを聞く者に対して語られる。また、証言は聞き手の質問に答えるという単なる受け身の行為ではなく、証言者が過去の経験を解釈して再生産していく過程である。それゆえ、証言者の感情の状態、さまざまな環境、聞き手と証言者の立場などに影響を受ける。公演で各作業者――演技、音楽、映像、美術――は、証言する。 この公演は、また、その中で発現されるさまざまな形の記憶は個人的なものではなく、それらをめぐる物質と社会的な実践が複雑に絡む過程である。各作業者は証言と公式的な歴史からそれぞれの結果物を作り出し、最も能動的な形でメディアとメディアの「対話」を提示する。公演は再現ではなく、対話の場を作ることである。