「東京は汚いものを隠す街」 アーティストの五感が捉えた東京とバンコク
舞台美術家がつくった山車が商店街を練り歩く『移動祝祭商店街』や、大塚の商店街を拠点にした『とびだせ!ガリ版印刷発信基地』、JK・アニコチェ×山川陸によって行われた都市を歩きながら、街の中に停泊や逗留ができる「島」を見出すプロジェクト『Sand(a)isles』など、長島確と河合千佳の共同ディレクターとなって以降、フェスティバル/トーキョーでは、街と演劇とが関わり合う作品が多く上演されている。
そんな、街との関わりを、都市と都市との関わりにまで拡大したのが、今年開催されるバンコク国際舞台芸術ミーティング(BIPAM)との交流プログラム『The City & The City: Divided Senses』だ。
このプログラムでは、バンコクと東京で活動する若手アーティストたちが、それぞれの都市を「五感」をテーマにしてリサーチし、プレゼンテーションを実施。コロナ禍によって、直接、バンコクのアーティストと対面したり、国を超えたリサーチを行うことは叶わなかったが、リサーチのプロセスをオンラインで共有することによってお互いの都市の姿を浮かび上がらせている。
今回、東京側から参加する櫻内憧海、曽根千智、渡邊織音に話を伺い、このプログラムから見えてきた東京の姿を語ってもらった。
東京の生活は「触らない生活」
──『The City & The City』は「都市の五感をうつしあう」というコンセプトから生まれたプログラムであり、8月から各都市でリサーチが行われています。いったい、どのようなリサーチが行われているのでしょうか?
櫻内 まず、僕らがお互いの都市で感じている五感とはどのようなものかを知るために、五感を分担してリサーチに取り組みました。視覚や聴覚は比較的共有しやすいですが、触覚・味覚・嗅覚についてはなかなか共有が難しいですよね。そこで、3人のメンバーがそれぞれ触覚・味覚・嗅覚と役割を分担してリサーチを実施。その結果を東京とバンコクで共有したんです。
──触覚、味覚、嗅覚の役割分担?
櫻内 はい。その中で、僕が担当したのは触覚です。リサーチを開始すると、東京では、ほとんどものに触ることなく生活できることに気づきます。昔ならば、電車に乗るためにも券売機で切符を買う必要がありましたよね。コンビニでものを買うためには、お金に触って支払いをする必要があった。しかし、今はSuicaで電車に乗ることができるし、キャッシュレス決済も浸透しています。いつの間にか、東京では、物に触れることなく生活できるようになっていたんです。
──「触覚がない」というところから、東京の触覚が浮かび上がってくるんですね。
櫻内 生活に不可欠なものに触る必要がなくなっている一方で、ガチャガチャやパチンコ、ゲームセンターのゲームなど、人間の感覚に訴えかけてくるエンターテインメントは、まだ直接触るものが多い。とてもおもしろい発見でしたね。
曽根 わたしは、味覚について担当しました。ただ、リサーチをするにあたって「東京の味覚」を正面からリサーチしても「東京に固有の味」は出てこないのではないかと考えた。東京では世界中のあらゆるものを食べることができますよね。そこから東京という都市固有の姿が浮かび上がってくるようには感じられなかったんです。
そこで、問いの設定を「東京の味覚」から「東京の食の様式」へとスライドさせて考えました。東京には顔の見える生産者の野菜があったり、ひとりで食事をする「孤食」が根付いています。そういった、食をめぐる環境から「東京」が浮かび上がってくるのではないかと考えたんです。
渡邊 わたしは嗅覚について担当しているのですが、東京の風景から匂いを感じることはできないかと考えています。
バンコクのチームが開催していたレクチャーに参加させてもらったのですが、ここで紹介された子供たちのためのワークショップの話が印象的でした。このワークショップでは、目の見えない子供と、見える子供たちが匂いのついた絵の具で一緒に絵を描いたそうなんです。残念ながら彼らが描いた作品は見れなかったのですが、ここでは視覚と嗅覚という感覚を超えて、ひとつのものをつくっている。これに刺激を受け、東京の風景を描いたときの色の感じや、色と色が溶け合う感じから嗅覚を作れないかと考えています。
経済に飲み込まれる東京の生活
──では、バンコクとリサーチを共有しながら、東京とバンコクとの差異を感じることはありましたか?
櫻内 バンコクと東京との違いを考えるにあたって、ひとつの象徴的なものがありました。バンコク側のアーティストから、バンコクの視覚的な象徴として「High Hall」という映像が提示されたんです。高層ビルが立ち並んでいる一方で、穴が空いた地面が同時に存在している。
バンコクはこれから発展していく途上にある都市であり、アーティストたちのマインドもポジティブな印象があります。しかし、東京に暮らしていると、そこまでポジティブにはなれない。穴の中から建物を見るか、建物から穴を見るかの視座が決定的に違うような気がしました。
曽根 私の場合、リサーチを始める以前は、経済のタイムラインのなかで、どれくらいの位置にあるのだろう? 日本の経済状況とはどのくらいの距離にあるのだろう? と考えていたんです。
けれども、互いにプレゼンをして話をするなかで、生活も宗教も文化も異なる国が、同じような経済発展を辿るわけではないことに気づいていきました。都市は、成熟に向けて直線的に進んでいくわけではないし、2つの都市が同じ成熟に向かっていくわけではないですよね。
──東京には東京の成熟があるし、バンコクにはバンコクの成熟がある。では、バンコクを参照項として見ることによって、東京はどのような都市だと感じられますか?
曽根 先日、渋谷の宮下公園がMIYASHITA PARKにリニューアルされましたよね。個人的な印象かもしれませんが、東京という街は汚く無秩序であることを避け、MIYASHITA PARKのようにクリーンで秩序ある姿を求めているように感じます。
櫻内 東京は「汚いものを隠す」という都市かもしれませんね。壊れたものをすぐに直したり、代謝のスピードも早い。
曽根 バンコクでは高層ビルが林立した都市の中でも、運河を使った物流やマーケットも盛んだし、古くから営まれている屋台がいまだに人々の食卓として根付いているそうです。バンコクでは、経済発展を遂げることと生活を守ることが両立している。一方、東京の場合は、経済が人々の生活を飲み込んで作り変えてしまいます。
東京は寂しい都市かもしれない
──確かに、東京に暮らしていると、生活よりも経済が優先される局面が多いように感じます。では、タイのアーティストたちは、東京をどのように見ているのでしょうか?
櫻内 タイのアーティストたちに聞くと、東京はミニマルでシンプルでかっこいいという印象で見られているようです。最近、バンコクでは東京っぽいカフェが流行っているし、ノームコア(Tシャツ、ジーンズ、スニーカーといったシンプルなアイテムをあわせたコーディネイト)のような着こなしが「東京っぽいファッション」として流行しているといいます。
そうやって「シンプル」「おしゃれ」「かっこいい」という東京のイメージが流通している一方、バンコクではシティ・ポップが流行していて、竹内まりやが人気になっている。バンコクには、僕らの理解する東京とは異なる「東京」のイメージがあるようです。
もうひとつ印象的だったのが、バンコクチームに対し、先程話した東京の五感をプレゼンしたところ、バンコクのアーティストから「東京は思っていたより寂しい街なんですね」と言われたこと。物に触れないし、ひとりで食事する機会も多い。にぎやかなバンコクから見ると、東京の実像は「寂しい都市」なのかもしれないですね。
──ところで、同じ日本人の中でも、東京に対する印象は異なりますよね。曽根さんは兵庫出身ですが、櫻内さん、渡邉さんは東京の出身です。この3人の中でも東京の捉え方は変わるのでしょうか?
曽根 そうですね。今回、プロジェクトのためにこの3人が集まって、いちばん最初に話したのはそこでした。櫻内さんは東京の東側出身だけど「全然東京に住んでいる感覚はない」って。
櫻内 「東京」って言われると、日本橋や国会議事堂といった都心部をイメージしてしまいます。僕が生まれ育った東京の東側とは、大きく雰囲気が異なり、とても一緒くたにできません。
渡邊 わたしの場合、渋谷近辺に住んでいるのですが、終電を逃して深夜の街を歩いているときに、どこか東京の本質を感じます。誰も居ないオフィス街を深夜に歩いていると、にぎやかな昼間の東京はあくまでも仮の姿であるような気がしてくるんです。
曽根 わたしは2人とは異なって東京出身ではなく大学卒業まで関西に住んでいて、就職のために東京に引っ越した。だから、東京は仕事をしに行くところであり、暮らすための街ではないんです。「ON」の時間しか存在しないという印象ですね。
こうやって、3人の間でも「東京」に対する感覚は異なってくる。3人の中の東京、リサーチで見つけた東京、バンコクとの対比などをすり合わせていきながら、最終的な展示作品へと落とし込んでいくんです。
劇場に現れる東京の臓器
──今回のプログラムは、展示という形で成果発表が行われます。東京芸術劇場シアターウエストを使って行われるこの展示は、どのようなものになるのでしょうか?
渡邊 東京という街を人間の身体に見立てて空間をつくっていきます。都市におけるインフラ設備や機能を、人間が体内に持っている器官や機能によって置き換えていく。劇場の中に、臓器のような造形物がうねうねとうごめいている中に、映像、音などの様々なメディアが組み込まれる。それによって、東京という身体を表していきたいと考えています。
曽根 ただし、その身体は決して健康体ではなく、どこか臓器が歪んでいたり、淀んでいたりする。それによって「何かを隠そうとしている」「どこか不具合を抱えている」といった東京の姿を表したいですね。
──健康なだけではない東京の姿が現れる、と。
渡邊 おそらく、展示によって表れてくる都市は、決して「東京らしい」と感じられるものではないでしょう。それは、東京ともとれるしバンコクにもとれるもの。逆に言えば、東京っぽくもないし、バンコクっぽくもない。
曽根 東京やバンコクを直接表すのではなく、想像の余白を残していきたいですね。
今回、お客さんには散歩するように劇場に来てほしいと考えています。日常で暮らしている身体のまま足を運んでもらうことで、普段、生活を送っている東京の姿に似ているところや、似ても似つかないところを劇場空間の中でいろいろと発見してほしい。そして、それを持ち帰って、新たな視点から東京を見てほしいですね。
櫻内憧海
1992年東京生まれ。11年の旗揚げより、劇団「お布団」に所属。 大学卒業以後、都内の小劇場を中心に音響家として活動するかたわら、16 年より、音響・他というクレジットを用い、照明・音楽・舞台監督なども兼任するようになる。 スタッフとしてどう演劇作品へ関わっていくかについて考えるため、17年に無隣館に所属。19年より⻘年団演出部所属。20年から、若手演出家と共に既成戯曲に挑む自主企画を立ち上げ、作品制作も行う。
曽根千智
1991年生まれ、兵庫県出身。青年団演出部所属。大阪大学卒業後、人材系IT企業にて研究開発職につくかたわら、無隣館(3期)で学ぶ。現在は、演出、劇場制作、ドラマトゥルクとして活動している。出演作品に『カレーと村民』(13)『よみちにひはくれない』(18)、演出作品に『遊行権』(19)『レシタシオン』(19)など。2019年度 セゾン文化財団創造環境イノベーションプログラム採択。
渡邊織音
1986年東京生まれ。構造設計・舞台美術家。福島・NPO法人野馬土理事。京都・北山舎メンバー。17年よりグループ・野原に参画。大学在学中より自力建設を通した震災支援や、海外WSを中心とした活動に関わり続け、設計事務所を経て現在に至る。民家を改修しながら生活し、日常の中で失われていくものや、取り残されている姿・風景をじっくりと見つめる。近年の舞台美術として、ハチス企画『ハッピーな日々』(19)、ヌトミック『それからの街』(20)などがある。
萩原雄太
1983年生まれ。演出家、かもめマシーン主宰。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団「第13回AAF戯曲賞」、「利賀演劇人コンクール2016」、浅草キッド『本業』読書感想文コンクール受賞。手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。2018年、ベルリンで開催された「Theatertreffen International Forum」に参加。2019年度・2020年度セゾン文化財団ジュニアフェロー。
バンコク⇄東京。
都市と都市の"五感"をうつしあう
The City & The City: Divided Senses
パートナー | BIPAM(バンコク国際舞台芸術ミーティング) |
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日程 | 10/30(Fri) - 11/1(Sun) |
会場 | 東京芸術劇場 シアターウエスト、F/T remoteオンライン配信) |
詳細はこちら |
人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20
名称 | フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2020 |
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会期 | 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか ※内容は変更になる可能性がございます。 |
概要
フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。