カール・マルクス:資本論、第一巻
プロフィール カール・マルクス:資本論、第一巻 演出:ヘルガルド・ハウグ、ダニエル・ヴェツェル(リミニ・プロトコル)【ドイツ】

ヘルガルド・ハウグ / ダニエル・ヴェツェル(リミニ・プロトコル)

リミニ・プロトコルは、ギーセン大学応用演劇学科で出会ったヘルガルド・ハウグ(1969生)とダニエル・ヴェツェル(1969生)、シュテファン・ケーギ(1972生)の3人によるアートプロジェクト・ユニット。2000年、フランクフルトで結成された。お互いが独立し、個人のプロジェクトを発表している一方で、メンバーの2人、もしくは3人のプロジェクトも多く発表している。

結成以降、特に公共空間におけるパフォーマンスやドキュメンタリー演劇の手法を用いた型破りなプロジェクトの数々で世界の注目を集めている。彼らの作品の出演者はプロの俳優ではなく、あるテーマに関して特別な経験や知識を持っている一般の人々。稽古前に行われるリサーチあるいはキャスティングのプロセスが、実に作品創作の2/3を占める。このように、現実を演劇的に描くのではなく、ある現実をそのまま舞台上にあげるという驚くべきシンプルな手法によって、リミニ・プロトコルはヨーロッパで爆発的人気を誇っている。
2004年以後はベルリンのヘッベル劇場を拠点としながらも、世界中で精力的にプロジェクトを展開中。


<出演者プロフィール>

トーマス・クチンスキー Thomas Kuczynski

1944年ロンドン生まれ。大学で統計学を専攻し、卒業後1968年~1991年経済統計学者としてドイツ民主共和国(旧東ドイツ)における経済科大学(Hochschule für Ökonomie)、その後学士院の経済史研究所に所属し、1988年~1991年には最後の所長を務める。ベルリンの壁崩壊後、1991年~1998年フリーランスと失業の間に暮らす。1998年以降フリーランスライターや編集者として活躍。刊行物:1981 HANDBUCH WIRTSCHAFTSGESCHICHTE (共著者、共編集者); 1985-90 GESCHICHTE DER PRODUKTIVKRÄFTE IN DEUTSCHLAND VON 1800 BIS 1945 (共著者、共編集者); 1995 DAS KOMMUNISTISCHE MANIFEST VON MARX UND ENGELS. MIT EINEM EDITIONSBERICHT; 2004 BROSAMEN VOM HERRENTISCH. HINTERGRÜNDE DER ENTSCHÄDIGUNGSZAHLUNGEN AN WÄHREND DES ZWEITEN WELTKRIEGS NACH DEUTSCHLAND VERSCHLEPPTE ZWANGSARBEITSKRÄFTE

ウルフ・マイレンダー Ulf Mailänder

1956年ビュンデ(旧西ドイツ)生まれ。ベルリン自由大学でドイツ文学及び政治学を学ぶ。無断居住、編集者やオータナティヴ出版社(Stattbuchverlag)の経営責任者といった「政治運動」を展開。数年間ドロップアウトしカナリア諸島のラ・パルマに滞在した後、ゲシュタルト心理学を学び、資格を得る。1992年からベルリンにおいてフリーランスライター及びコンサルタントとして活躍。様々な刊行物、ユルゲン・シュナイダー、ハンス・ヨアヒム・セレンツ、ユルゲン・ハルクセンなどの自伝の共著者。

タリヴァルディス・マルゲーヴィッチ Talivaldis Margevics

1946年リューベック(旧西ドイツ)生まれ。リガ大学において史学、レニングラード大学においてジャーナリズムを専攻。それ以降主に映画監督として活動、現在まで映画を40本以上を発表している。一時的に、織物工場での荷造り人、学校の先生、大学講師、ラトヴィア首相のアドヴァイザーとしても活動。

ヨヘン・ノート Jochen Noth

1941年ベルリン生まれ。マインツ、ハイデルベルク、パリの大学においてロマン文学及びドイツ文学を勉強。1963年からドイツ社会主義学生連盟(SDS)のメンバー、一時的にその理事も務める。西ドイツ共産主義連盟(Kommunistischer Bund Westdeutschland)の中央委員会設立委員。1979年~1988年中国、ラジオ北京の編集部及び外国語大学の講師。1989年以降ベルリンにおいて中国を専門とするコンサルタントやアドヴァイザー、並びにアジア・パシフィックマネジメント研究所の経営責任者。様々な刊行物の著者。

クリスティアン・シュプレムベルク Christian Spremberg

1965年ハンブルク生まれ。ハンブルグ、フリードベルク、マールブルクの盲学校において勉強。高校卒業の後、マールブルク大学でドイツ文学を専攻、1991-92年中退。その後マールブルク公共職業安定所に電話交換手として勤める。1995年~2002年ベルリンシュプレーラジオ局の編集部員。2003年以降ベルリンのコール・センターにテレフォン・オペレータとして勤める。

ラルフ・ワルンホルツ Ralph Warnholz

1960年デュセルドルフ生まれ。機械工の養成を受け、夜学において更に電子工学の修業を積む。1974年から12年間にわたりギャンブルに溺れる。8年前からデュセルドルフ・ギャンブル依存症の自助グループの指導者。

サシャ・ワルネッケ Sascha Warnecke

1986年ラーティンゲン(旧西ドイツ)生まれ。高校生の時から大型スーパーでアルバイト。現在メディア商業の研修生。2007年からデュセルドルフ専門単科大学において「社会的仕事」を学ぶ。2003年からドイツ共産主義党の党員。同党員と一緒にドイツ労働者青年を再設立。

フランツィスカ・ツウェルク Franziska Zwerg

1969年ベルリン生まれ。ベルリンフンボルト大学とモスクワ大学でドイツ文学、スラヴ文学と演劇学を学ぶ。卒業以降ロシア語翻訳家としてフリーランスで活動。ボリス・エリツィン元ロシア首相の自伝や、Irina DenezkinaやElena Tregubovaの小説の翻訳者。