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ことばの彼方へ

ことばの彼方へ

「震災後」という時間が流れ出して1 年半が経った。あれから何が変わり、何が変わらなかったのだろうか。大地は揺れ続けているし、放射能は漏れ続けている。瓦礫の行き先は見えない。言葉を失い、沈黙を強いられたままの人たちが大勢いる。そして、私たちの「いま、ここ」は、大地とともに揺れ続けている。一方、その不安を麻痺させるかのように、私たちの「トーキョー」の日常はそれでも淡々と続いている。そこにはおびただしい量の言葉が溢れている。被災地の今を報道するジャーナリスティックな言葉、原発事故を告発し再稼動を糾弾する言葉、被災者の言葉、それを代弁する言葉、被災地を励まし応援する言葉やスローガン、それらに便乗する広告や旅行キャンペーンのキャッチフレーズ、そしてその状況を取り巻く人々のコメントやつぶやき……都市の喧噪の中で、また無限に肥大化するネット空間の中で、言葉はどこまでも拡散し、私たちの感覚を覆い尽くしていく。

そのような中にあって、仮に演劇の言葉というものがあるとしたら、それはどのようなものなのだろうか。それはどこから発せられ、どこへ向けられているのか。演劇は古来より言葉を媒介にした芸術であるが、これほど多様な言葉が多様なメディア上に氾濫する時代にあって、演劇というメディアを用いた言葉たちは今、何を語ることができるのだろうか。今回のF/Tでは、語り得ない現実を前にした失語状態を経て、それでも果敢に発せられようとしているいくつかの言葉を手がかりに、聞こえない声に耳を澄まし、この不確かな現実を掴み直す作業を継続したい。

その試みの一つとして、オーストリア出身のノーベル賞作家・劇作家、エルフリーデ・イェリネクを特集し、3 つの戯曲を連続上演する。イェリネクが3.11後に書き下ろした『光のない。』は、地震、津波、原発事故を受けて発せられたまさに火急の言葉の連なりである。無限に拡散する光 / 放射能と、声にならない死者たちの声。この制御不能な言葉の氾濫に、三浦基率いる地点と音楽家・三輪眞弘はどのような声と音を与え、私たちの「いま、ここ」を反射させることができるのだろうか。『光のない。』に続き、2012 年3 月12 日に発表された『光のないII』 は、すでにエピローグ化され忘却されつつある福島の状況に大きな疑問符を投げかけるものである。PortBの高山明は、東京の都市空間を福島に見立てる手法のもと、メディアによって形作られた「被害者」の表象とイェリネクの言葉を重ね合わせ、観客自身がそれらを有機的に紡いでいく旅=ツアーを組織する。一方、イェリネク戯曲演出の第一人者と評される演出家ヨッシ・ヴィーラーも、かつてナチス占領下のレヒニッツ村で起こった凄惨な史実を伝える言葉を、不気味なメッセンジャーたちが「報告」するという特異な演出で立体化する。私たちは、これら3 つのイェリネク戯曲の上演を通じて、あらたな演劇言語の実験に立ち会うと同時に、戯曲と演出の豊かな緊張関係を見出すことができるはずだ。

日本でも、震災後の失語状態を経て、あらたな言葉が生まれようとしている。これまでも広島や長崎と対峙し、語り得ない都市の記憶から言葉を探り続けてきた松田正隆は、福島に言葉のベクトルを向ける。法と倫理の狭間に引き裂かれたギリシャ悲劇のヒロイン、アンティゴネーに導かれながら、東京から福島へと移動しつつ進行する複数の物語を、複数のソーシャル・メディアを介して都市にインストールしていく。昨年の公募プログラムで介助者・被介助者の関係を俳優と一観客の参加を通じて舞台上に表出させた村川拓也は、震災後の言葉や対話の強烈な欠落感から出発し、「言葉」そのものを問題にする。舞台上に手話という異次元の言語を持ち込み、言葉・発話・対話の関係性に揺さぶりをかけながら、どんな「ことばの彼方」を出現させるだろうか。これまでも音楽から自然現象まで、あらゆる事象を独自の身体言語へと昇華し続てきた勅使川原三郎は、かつて宮澤賢治が岩手県江刺に伝わる剣舞に触発されて書いた詩片『原体剣舞連』にインスピレーションを得、20 年ぶりにその言葉に血肉を吹き込む。

一方、ジャーナリズムが伝えない現実をミクロに捉える海外の表現者たちが発する言葉にも耳を澄ましたい。国際的孤立を深めるイランから言葉を発信し続けるアミール・レザ・コヘスタニは、隠喩に満ちた対話劇によって、検閲下に生きる若者たちの間に充満する焦燥感をあぶり出す。これまでもアートとアクティビズムの間を横断しながら政治性の強いプロジェクトで物議を醸し出してきたジャン・ミシェル・ブリュイエールは、ヨーロッパ各地に増殖する難民キャンプを批評的に再構成し、人間の理性と感性を同時に揺さぶる「思考の場」へと私たちを誘う。また東ヨーロッパの前衛演劇を牽引し続けてきたアールパード・シリングは、自国ハンガリーとルーマニア国境の田舎町での長期ワークショップを経て、その成果を地元の子供たちとともに演劇化する。都会と地方、芸術と信仰など、子供達が発する切実な問いかけは、震災以後の日本をどのように照射するだろうか。これらの作品群は、演劇という虚構のフレームを利用して、厳しい現実への複数の視座を私たちに提示してくれるものになるだろう。

アジアの新世代の作り手は、このアンバランスな世界に対しどんなアプローチを試みているのだろうか。韓国の新鋭演出家ユン・ハンソルは、いまだ韓国社会に重大な影響を与え続ける朝鮮戦争の被害者・加害者の証言や、上演会場に固有の歴史を語る行為から、記憶の再現ではなく、記憶との対話の場としての演劇を提示する。一方、セミドキュメンタリーの手法で人間の業を徹底的にあぶり出してきた三浦大輔は今回、海外巡演を経て6 年ぶりに無言劇『夢の城』を上演、言葉を介在しない究極のリアリズムで、人間の本性を精緻に描き出す。また、世界に対する違和感を独自の言語・身体感覚で戯画化する神里雄大は、「隣人」をテーマにした新作に取り組む。そのため創作プロセスの一部を敢えて隣国・韓国で行い、外側から日本を捉えることで、日本人の自画像のアップデートを試みることになる。

昨年からアジア全域に拡大した公募プログラムは、今回さらなる飛躍を遂げる。アジア全域、計180 件もの応募の中から選ばれた11 作品は、それぞれ異なる問題意識やローカルな文脈のもとで創作されている。自国の土着の伝統や古典と向き合うものもあれば、グローバル化した自身の存在から出発するもの、同4 5時代のサブカルチャーと同期するものもある。この混沌とした多様性の中に、私たちはどのようなアジアの現在地を見出すことができるだろうか。そしてそこから、双方向の対話の回路を切り拓き、共通可能なプラットフォームを持続的に育てていくことが、複数のアジアに生きる私たちにとって緊急の課題でもあるだろう。アジアからの審査員も加えた今回のF/Tアワードは、個々の地域の文脈も含めた創造と批評の場を共有していくためのさらなる一歩となるだろう。

これまでF/Tの「ひろば」として、対話と交流の交差点としての役割を果たしてきたF/Tステーションは今年、リニューアル・オープンする東京芸術劇場全館を大胆に活用する形で実現する。カフェ、ショップ、インフォメーションから人々が集い語らうミーティング・ポイントまで、さまざまな空間のポテンシャルを活用しながら、F/T 期間中の対話と交流をバックアップする。また、東京芸術劇場前や池袋西口公園をはじめ池袋のさまざまな都市空間に、フラッシュモブの手法を活用したパフォーマンス「F/Tモブ」をゲリラ的に仕掛けていく。毎週末ごとに異なるアーティストの奇抜なアイディアによって、私たちの都市の日常はいかに宙づりにされ、群衆と祝祭の場へと変容を遂げるだろうか。目撃するのみならず、是非どなたにも気軽に参加して頂きたい。

演目を取り巻く多彩な関連プログラムに加えて、今回のF/Tでは、あらたな批評メディア「TOKYO / SCENE」を刊行する。これはジャーナルという形式のもと、F/Tから派生する言論を演目の外側に拡張する試みであり、あらたなアート・ジャーナリズムへの挑戦でもある。また同時に、演目ごとに作成されてきたチラシを全廃し、作品の背後にある社会の思想や文脈をより深く共有していくための試みでもある。このジャーナルから生まれる思考が、F/T 期間中に繰り広げられるトークやシンポジウムにも波及し、やがてはF/Tや演劇というフィールドを超えて自生していくことを期待している。

これらの試みを通じて、私たちは再び、揺れ続ける大地の上で、自らの足元を確認し続けることになるだろう。福島から、東北からの距離感の中で、あるいは急速に書き変えられようとしている世界地図の中で、自分自身の立ち位置を確認し続けること。私は芸術が何かの役に立つとは考えないが、もし芸術になんらかの意味があるとすれば、むしろこの圧倒的な距離感を認識することに他ならないのではないだろうかと考えている。そしてその亀裂から、他者との対話や思考を開いていくことではないかと考えている。他者を安易に代弁することなく、また他者に同化することなく、むしろ自分と他者の決定的な違いを受け入れた上で、自分の立ち位置に安住することなく、自分自身を問い続けること。昨今の日本のメディア空間において、また日常のさまざまな関係性において、リスクを負った表現者や表現そのものに対して、安全な立場から一方的に糾弾したり、市民や世間といった一般論を持ち出して無自覚に抑圧を加えたりする動きが、目に見えて増えてきたという危機感を持っている。F/Tはそうした日本の言論状況に対して、常に覚醒した批評性を持つ場であり続けたいと思う。そして今回のF/Tが、そこに集うすべての表現者や表現を介して、またF/Tという場のあり方そのものを通じて、来たるべきジャーナリズムと芸術表現のあらたな関係性を再定義する第一歩となることを願っている。

相馬千秋
F/Tプログラム・ディレクター

相馬千秋 Chiaki Soma

1975 年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フランス・リヨン大学院で文化政策およびアーツマネジメントを専攻。2002年より NPO 法人アートネットワーク・ジャパン所属。主な活動に東京国際芸術祭「中東シリーズ 04-07」、横浜の芸術創造拠点「急な坂スタジオ」設立およびディレクション (06-10年)など。2009年 F/T 創設から現在に至るまで、F/T 全企画のディレクションを行っている。2012年度文化庁文化審議会文化政策部会委員。

相馬千明

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