F/T マガジン

「オーソドックスな前衛」が語る、現代演劇、言葉、身体、空間 三浦 基 ロングインタビュー

----F/T10の記者会見では「"現代演劇"はヨーロッパのもので、日本には不要なのではないか」というような問題提起もされました。それを踏まえつつ、アルトーというヨーロッパの作品を選ばれた理由をお聞かせください。

三浦  日本の現代演劇には伝統芸能と新劇のあいだの断絶をはじめとする根深い問題があると思うんです。それはつまり、本当に日本の演劇は西洋からやってきた「近代」を消化できたのかという問いです。もちろん60〜70年代のアンダーグラウンドシアターはこの問題に取り組んでもいたんだけど、80年代以後、今のゼロ年代、テン年代と呼ばれる人たちにいたるまで、日本の演劇の担い手はその歴史を背負わずにここまできてしまっているんじゃないかな、と。ヨーロッパには確固たるストレートプレイの歴史があり、演劇が政治的な問題を担ってきた歴史もある。だからこそ向こうの演出家たちは、今も行きづまるたびにそこに立ち返りながら、奮闘しているんです。彼らがハイナー・ミュラーを今世紀最大の作家と呼べるのはこうした背景があるからで、日本ではそんな皮膚感覚はないはず。F/T10のコンセプトは「演劇を脱ぐ」だけど、じゃあ脱ぐための演劇ってどういうものなのか、日本には脱するための演劇がないんじゃないか。そもそも歴史を考えることなしに、芸術を考えることはできるんだろうか。記者会見での発言はこういった思いを背景にしていました。
 ではなぜそれでアルトーか。ドラマトゥルクの宇野さんも言うように、西洋の歴史というのはキリストを中心とした秩序や制度との戦いといっても過言ではない。その意識はアルトーのみならず、ほとんどの西洋の芸術家が持っているものだと思います。でもそのうえでアルトーは「キリストという名の男がいた」っていう表現をし、神についてああでもないこうでもないと疑いを重ねていくわけです。で、このキリストとの問題は、西洋人ではなく日本人だからこそ、アルトーと同じように扱うことができると僕は期待をしているんです。ひょっとしたらヤマトタケルやヒミコの物語を扱うよりも、適切な距離感を持ってこの問題を批評することができるんじゃないかと。

----前回の『追伸』に続き今回も戯曲ではなく、アルトー後期のテキストを中心に構成されるそうですね。

三浦  普通の戯曲はいつでもできるんじゃないかな、と、とりあえず今は思うようにしてるんです。それで結局、作家論を演劇にするということをここ数年やっているわけですが、人物伝をやるからにはその人物がどのように死んでいったかということはやはり重要になってくる。だからアルトーに限らず、自然と選択するテキストが晩年のものになっていくところはあります。ただ僕はそもそも優れた作品はすべて「遺書」と呼ぶことができるとも思っているんですけど。
 もちろん今でも僕がなにか既成の戯曲、たとえば『ロミオとジュリエット』を演出して、それを「これはシェイクスピアの遺書である」ということもできるとは思います。ただ、そうするとどうしても人は物語展開の方に浮気しちゃいますから。登場人物の恋愛物語がはかないとかって見方は僕にとっては実は意味がない。シェイクスピアが何をどう考えたか、そのなかで登場人物たちはどう台頭してくるのかということが大事なんじゃないか。そんなこともあってこの頃は「戯曲」から距離をおいています。

----これまでの2作品はリーディングでの上演でしたが、今度はいわゆる舞台作品です。この空間や俳優の使い方の違いをどうとらえていますか。

三浦  演劇ではテキストとの距離というのがよく問題になるけど、リーディングではそれをすごく具体的に見せることができるんですよ。まず譜面台と台本を置く。そうすると観客はその譜面台やテキストの紙を通して、人物を見るようになりますよね。で、この俳優はこの時ちょっと顔をあげるとか、全員が一緒にページをめくるとか、そういったことでテキストとの距離感はすごく鮮やかに見えてくる。だからリーディングは好きだし、自分でも相当うまいと思います。
 ところが今度は譜面台も紙がなくなってしまうわけでしょう。たとえば何かをわめくような場面があったとして、リーディングでは俳優と観客が同じように「紙」というクッションを通してそれを受け取っていた。だからこそ受け入れやすい部分があったはずなんです。ところが普通の舞台ではこの「紙」の機能を俳優の体だけで引き受けなきゃいけない。それがいわゆる「身体」になるってことです。アルトーも「器官なき身体」って言葉で書いていることですけど、今はこういうことを面白がってやっていますね。今回はけっこう抽象的な美術でやるんだけど、そういう空間の中で俳優たちは目に見えない譜面台をどこにおいているのか。それを示すことができたら、これはきっと面白いものになるはずです。