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2022/07/12

トーク 「舞台芸術はアーカイブ② 〜価値をいま決めない〜」ゲスト:須藤崇規 <後半>

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アーカイビングF/T オンライン連続トーク

「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

15:00-15:50 セッション1「上演の記録と、記録の上演」

ゲスト:須藤崇規 モデレーター: 長島 確、中島那奈子




記録映像だけで、舞台作品のアーカイブとなりえるか


長島 さらにひとつ質問があります。記録映像は映像として面白ければいいだけではないとして、映像としての完成度や充足度は考えますか? なぜこの質問をするかというと、理由は2つあります。ひとつは、引き絵の場合は、その劇場や劇団や作品を見たことがあると脳内で補完できるので、むしろ編集が丁寧に入っているよりも自由に見られる感じがします。ただそれは、映像としては充分ではなく、映像以外の情報によって自分が補完できる限りは引き絵が良いということ。そのうえで、映像として完全に自立することを追求することついて、須藤さんがどう考えているのか気になります。


関連してもうひとつ。時代感覚や面のアーカイブについて思い出したことがあります。大学の時に先生に「昔の小説や論文を読む時に、初出の雑誌に絶対に当たれ」と強く言われました。なぜなら、同じ号にどんな文章や記事が載っているかが考える材料になるから、と。きっと小説でも論文でもエッセイでも、その後に単行本に収録されたりWEB上で公開されて、切り離されて自立して読まれることは普通だと思いますが、一方で、最初に世に出た時のコンテクストや当時のシーンはあったはずなんです。そういったことと同じようなことを須藤さんは考えているのかなと思いました。そうだとすると、同じ年のフェスティバルでは他にどんなアーティストが出ていたとか、その年の同じ劇場ではどんなものを上演していたかといった情報も、アーカイブとしては意味があるはず。もし映像では辿れなくても文字情報なら遡れるかもしれないので、単独の記録映像以外のものと情報を補完し合うことを意識したりするんでしょうか?


須藤 すごく考えますね。映像として自立したものになったらいいなという感覚はありますし、それが出来る作品もある。でも、僕が撮るものはたいてい違う(笑)。なぜなら、時代とリンクしていたり、アーティスト自身が時代へのレスポンスとして作品を作っている側面が大きいからです。だから、今なら映像として見ても面白いけど、いつかは面白くなくなるということが、記録映像にもあると思います。セッション1で三浦さんも言っていた「賞味期限」が切れた時に、隣に何があったらまだ食べられるかは考えますね。当日パンフレットで足りるかもしれないし、劇場が無くなってしまった場合には図面があるとすごく助けになるかもしれない……と考えはしますが、そこまで含めて一つの作品をアーカイブとしてパッケージしてはいません。過去に2~3回ほどは記録映像の上映会を企画して、当日パンフレットを壁に貼って情報を補完したこともありましたが、それでは足りなかったですね。たとえばその作品を作った動機など、何かしらの時代背景がないと届き切らないなと実感しました。だから僕が仕事としてやっているのは、あくまで映像を作る部分だけれど、それだけではきっと足りないんでしょうね。それを誰が保存してくれるのかはわからないです。


パフォーミングアーツの創り手からは、コロナ禍で配信が話題になってからは「やっぱりその場で観ないとダメだよ」とか「やっぱりナマで観てほしいです」という声をたくさん聞きました。作り手と観客が同じ場所にいることが大切だという感覚は、創作に関わる人間が共通して持っているといます。でもそこでひとつ抜け落ちているものが、場所だけでなく、時間も共有しているんですよね。時間の共有も実は大切なんです。記録映像や配信の特徴は、場所を超越できると同時に、時も超越して遠くの人に届けられること。そして時間が離れた人に届ける時には、映像だけでは足りないものがきっとたくさんあるんだろうなという気がしています。



舞台作品の感動を記録するには


中島 須藤さんが言われる「感動」の話について、私はまだドキドキしています。感動を映像だけでは伝えられない時に、感動をどう記録するかは考えられますか?


須藤 はい。「感動を記録する」というまさにその言葉のままでよく考えます。理想としては、記録映像を見た時に、ナマで見た時と同じように感動してもらえることです。それを実現するためにはどうしたらいいのか試行錯誤していますが、感動の前提となるためにはやはり文脈が必要ですね。同じ時代、同じ時を共有しているという前提が絶対にあるはずです。


面白いのが、過去に自分が撮ったものを見返すと、めちゃくちゃ面白い。でも、当時それを見て感動したのとはまったく違う感動の仕方をしているんです。つまり僕がやってきたことは失敗なんです(笑)。それでも理想を目指してないと、そのまったく違う感動すら起きないんだろうなという気がしています。確かめようがないんですけれどね。


あともうひとつ、自分が20年前に撮った映像を見て気づいたのですが、映像の細かいことはどうでもいいんですよ。編集している時は細かいところばかりを気にしているんですが、いざ時間が経って見返してみると、視聴者として細かいことをスルーして、ちゃんと映っているものに向き合えたりするんです。そのギャップが面白い。僕個人の場合はたかだか20年ですが、100年後の視聴者との間にどういうことが起きるのかは楽しみですね。


長島 面白いですね。知恵熱が出てきましたよ(笑)。


では質問を2つ頂いているので読みますね。「舞台芸術のアーカイブは映像だけではなくモーションキャプチャーによる3 Dモデル化、VRライブ映像などについてはどうお考えでしょうか。上記のメディアでは観客の視点を自由に移動でき、もはやアーカイビングではなく新しい演出、もしくは二次利用という考え方もできると思います」。「舞台をVR化することについてどう思いますか。音や映像をリアルに再現することで、地方の方でも劇場を体験できるのではないかと思います」。

いかがでしょうか?


須藤 やってみたいですね。3DやVRはおそらく今までの映像とは違うんですよね。映像技術を使ってはいるけれど、映像文法を使ってはいない。僕が今作っている記録映像は、現代に生きている人なら自然と身につけてしまっている映像の語り方を利用して作りあげています。でもVRや舞台の3D化は、おそらく文法がまだできていなくて、これからだという気がします。その文法ができた時に、記録映像と組み合わせるとすごく面白いんじゃないかな。それでもすべてを補うことはできないと思うので、今までのような記録映像は残るでしょうね。記録映像とは別に、VR化することで新しく保存できるようになるなにかがあるのでしょう。僕自身もチャレンジはしてみたいですが、機を伺っているところです。


長島 VRで舞台を実験的に撮ったテスト映像を見たことがありますが、いろんな場所に360度カメラを据えて撮った結果、一番面白かったのは観客が入っている客席から撮った映像だったんですよね。ゴーグルをかけると普通に舞台を見ている気になれる。好きなところが見られるし、振り返ると他のお客さんがいる。ただ、それは記録映像とは別物なんですよね。


では最後に、あとひとつコメントを頂いているのでお伝えします。「記録映像を見た時、その時代背景の思想や生活様式を理解したうえで作品を見ることの大切さを再確認いたしました。この考えは論文を作成する時にも大切にすることと一致します」とのことです。

 須藤さんが考えていることはいろんな人のためになるし刺激になるので、裏で仕事をするだけでなくこれからもどんどん話していただきたいです! 今日は本当にありがとうございました。


(テキスト・河野桃子)

前半はこちら


須藤崇規

舞台映像デザインや記録映像など、舞台芸術に関わる映像全般を手がける。演出意図を丁寧に汲み取り、映像を通して作品の幅を広げ、観客に新しい鑑賞体験を提供している。パフォーミングアーツの記録映像上映会「ANTIQU」を、ときどき企画・開催。2020年5月からオンラインパフォーマンス「私は劇場」開始



長島確

専門はパフォーミングアーツにおけるドラマツルギー。大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇の現場に関わり始める。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、演劇、ダンス、オペラからアートプロジェクトまでさまざまな集団創作の場に参加。フェスティバル/トーキョーでは2018〜2020年、共同ディレクターの河合千佳と2人体制でディレクターを務める。東京芸術祭2021副総合ディレクター。

中島那奈子

老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、レクチャーパフォーマンス「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。編著に『老いと踊り』、近年ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。

アーカイビングF/T オンライン連続トーク
「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

日程 ライブ配信:2022年3月5日(土)14:00-19:15
<配信は終了しました>

アーカイビングF/T

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、2009年から2020年まで、13回にわたって開催されました。舞台芸術を中心に、上演・上映プログラム数204、関連イベントもあわせ、のべ77万人の観客と出会ってきました。これらの出来事を通じて、国内外にまたがる多くの人々や作品が交差し、さまざまな活動・交流の膨大な結節点が生み出されました。 上演作品やイベントは、「もの」として保存ができません。参加者や観客との間で起こった「こと」は、その場かぎりで消えていきます。しかしそのつど、ほんのわずかに世界を変えます。その変化はつながって、あるいは枝分かれして、あちこちに種子を運び、芽ばえていきます。 F/Tは何を育んできたのでしょうか。過去の記録が未来の変化の種子や養分になることを願い、13回の開催に含まれる情報を保存し、Webサイトを中心にF/Tのアーカイブ化を行います。情報や記事を検索できるデータベースを作成し、その過程で過去の上演映像セレクションの期間限定公開や、シンポジウムを開催します。

 
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