1976年生まれ、グルノーブルとパリに在住。大学で哲学を専攻した後、フランス国立高等人形劇芸術学院で学ぶ。1999年卒業後、振付家/演出家/パフォーマー/ヴィジュアル・アーティストとしての活動を開始。特にパフォーマンスとヴィジュアル・アートの融合、横断的表現を目指して、自作の人形を用いた舞台作品を精力的に創作。エティエンヌ・ビドー=レイとの共同演出でジャン・ジュネ作の『Splendid's』(2000年)をはじめ、『Showroomdummies』(2001年、2009年改訂版)、『Ste're'otypie』(2003年)、『Tranen Veinzen』(2004年)を発表。2004年以降は小説家デニス・クーパーとのコラボレーションで演出・振付を担当し、『I Apologize』(2004年)、『Une belle enfant blonde/A young, beautiful blonde girl』(2005年)、『Kindertotenlieder(亡き子をしのぶ歌)』(2007年)、『Jerk』(2008年)などを次々と発表し、ヨーロッパを中心に注目を集める。いずれの作品でもハイパーリアルな人形の圧倒的な存在感を放っている。一方で2005年以降の自作の人形等を対象にした写真家としての活動も目覚しい。その他、雑誌編集や映画出演など、多岐に渡る活動を行っている。
1974年アメリカ・ニューハンプシャー生まれ、パリ在住。作曲家・演奏家としてこの10年間で50枚以上のアルバムをリリース、様々なアーティストとコラボレーションしながら、世界各地で楽曲制作やコンサート活動を精力的に行っている。オマリーの音楽性は、異なる潮流が交差するかのように常に流動し既成概念を越えた新しい音楽を作り出し、進化し続けている。ヴィジュアル・アーティストとしては、多数のインディペンデント・レーベルのグラフィック・デザインを手がけ、ロサンゼルスのレーベルSouthern Lordのためには何百枚ものジャケットデザインを手がけている。その他、執筆活動も行うなど、複数の分野で知られているがメディアでは音楽界での仕事が取り上げられることが多い。また、ヴィジュアル・アート作品のサウンド・デザインを担当することもある。主なコラボレーション・アーティストにアメリカ人彫刻家New Gothic Banks Violette、イタリア人アーティストNico Vascellariなどがいる。ジゼル・ヴィエンヌ作品では『Kindertotenlieder』(2007)の音楽、『Jerk』(2008)の衣装を担当。『Eternelle Idole』(永遠なるアイドル、2009年初演)と『こうしておまえは消え去る』の音楽を担当。また、2009年はキュルチュールズフランス委嘱作品アントナン・アルトー原作の『Pour en finir avec le jugement de dieu(神の裁きと訣別するため)』をジゼル・ヴィエンヌと共同創作する。自身が所属するSunn O)))、Khanate、SOMA vs Z'ev、Lotus Eaters、KTL、Ginnungagapなど複数のユニット名義でも多数のアルバムをリリースしている。
芸術批評家・詩人・作家。1953年アメリカ・カリフォルニア州生まれ、ロサンゼルスとパリに在住。同性愛や暴力、サディズム、ドラッグなど、過激な題材の作品が多いことで知られている。和訳されている作品集の主な著書は『クローサー』(Closer 1989年)、『フリスク』(Frisk 1991年)、『その澄んだ狂気に』(Wrong 1992年)、『ジャーク』(Jerk 1994年)。2004年以降、ジゼル・ヴィエンヌとのコラボレーションを始める(上記参照)。
アーティスト。1963年生まれ。84年アーティストグループ「ダムタイプ」の創設時から活動に参加、ビジュアルワークを総合的に担当し、現在はディレクションに関わる。主なソロ活動として、98年インスタレーション「frost frames」、00年「optical flat」(国立国際美術館蔵)などを発表。99年坂本龍一のオペラ「LIFE」に映像制作で参加。01年霧の彫刻家・中谷芙二子との共同制作インスタレーション「IRIS」(スペイン)、05年グループ展「雪と氷との対話」(ラトビア)。07年坂本龍一とのコラボレーションによるインスタレーション「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」(山口情報芸術センター)。同年、気候変動について考えるための北極遠征プロジェクトCape Farewell(イギリス)に日本人アーティストとして初めて参加。08年パフォーマンス「Die Helle Kammer(明るい部屋)」をTheater der Welt, Halle 2008(ドイツ)にて制作・発表など。
札幌市生まれ。日本女子大学付属高校卒業後渡米。1957 米国イリノイ州ノースウエスタン大学美術科卒業 (B.A.)。1960 帰国。1979-1998日本大学芸術学部講師。東京在住。芸術と技術の実験グループ<E.A.T.= Experiments in Art and Technology>のメンバーとして1970 年の大阪万博ペプシ館で世界初の「霧の彫刻」を制作し、以降、人工霧による霧環境、公園設計、舞台作品などを世界各地で手がけている。ビデオ作家として、1972 年、ビデオによる活動を目的とした芸術家集団<ビデオひろば>の創設に山口勝弘らと共に加わり、霧の彫刻と並行して、ビデオ作品/インスタレーションを多数発表。80 年には日本初のビデオ専門のギャラリー<ビデオギャラリーSCAN>を設立し、国内若手映像作家の育成と作品の配給を推進。近年では、美術展への招待参加も多く、他ジャンルのアーティストとの協働による、新たな霧の可能性を探求している。主な活動歴として、トリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニー『Opal Loop/Cloud Installation#72503』のための霧の舞台(1981,1996,2010)、『霧の森』国営昭和記念公園子供の森(東京立川、1992)、田中珉ダンス『場所に恋して』のための霧の舞台(ダンス白州2004)、『霧の彫刻#48687"Noontide"』(2009第2回シンガポール・ビエンナーレ、照明:藤本隆行)、『雨月物語―懸崖の滝』(2009第3回横浜トリエンナーレ)など。
1978年アイスランド・レイキャヴィック生まれ、アムステルダム在住。アムステルダムのDance Academy Arnhemで学んだ後、Constanza Macras、Eszter Salamon、Jan Fabre、Thomas Lehmenなど多くの振付家と仕事をする。ジゼル・ヴィエンヌ作品では『Kindertotenlieder(亡き子をしのぶ歌)』(2007年)に出演。映画出演作品は『Kroll』、『Microstories from Reykjavik』『Don't pull the wall over my eyes/ Veggjalu's』。ソロ作品も手がけ、自身のカンパニーPanic Productions を創設。Erna Omarsdottir、Johann Johannsson、Sveinbjo"rg Thorhallsdottir、Rahel Savoldelli、Anne Tismer、Sveinbjo"rg Do'rhallsdo'ttirといったアーティストたちと仕事をしている。
1976年フランス・タルブ生まれ、パリ在住。1993年から1997年にかけてタルブで演劇を学んだ後、フランス国立高等人形劇芸術学校に入学。主な参加作品はPierre Joseph作品の『Personnages a` re'activer』(1994年)、Claude Wamplerと共演した『Performance』(1999年)、『Mickey la Torche』(Natacha de Pontcharra作/Taoufik Jebali訳/Lotfi Achour 演出/チュニス/2000年)、Marielle Pinsard演出『Les Parieurs et Blonde Unfuckingbelievable Blond』(2002年)、David Girondin Moab演出『Le Golem』(2004年)、Yves-Noe"l Genod演出『Le dispariteur et Le groupe St Augustin』(2004〜2005年)、ジゼル・ヴィエンヌとエティエンヌ・ビドー=レイの共同振付・演出作品では、ジャン・ジュネ原作『Splendid's』(2000年)『Showroomdummies』(2001年) 『Ste're'otypie』(2003年)。ジゼル・ヴィエンヌ振付・演出作品 『I Apologize』(2004年)、『Une belle enfant blonde/A young, beautiful blonde girl』 (2005年)『Kindertotenlieder』(2007年)『Jerk』(2008年)、また、ラジオドラマ『Jerk』(2007年)にも出演。2006年9月、パレ・ド・トーキョーにてGuillaume Marieと共に『We are accidents waiting to happen』を創作。2007年8月、ベルリンのFestival Tanz im Augustにてパフォーマンス・コンサート『Jonathan Covering』を初演している。