巨大なるブッツバッハ村――ある永続のコロニーアーカイブ

(こちらの作品は締切後提出でしたので、審査対象外、掲載のみとさせていただいております)

 かねてよりの住処が差押えられ、時に美しい声色で嘆きつつも無為のまま退去を強いられる一群れの人々にチェホフ『桜の園』を彷佛とした私の連想は、無理からぬものかと思う。する事のない間延びした時間、無闇に話される言葉、出し抜けの身振り、倦怠感、危機的な状況に見合わない歓楽が、ひたすら舞台の上を流れていった。
 寒空の街灯のもと口ずさまれた讃美歌の荘厳に涙を禁じ得なかったと、知人は言った。私はむしろ、この場面を笑った。

 チリの鉱山落盤事故で33人が地底700メートルの暗所に閉じ込められ、奇跡の救出を受けたとき、人々は喜びの涙にむせびながらチリ国歌をうたっていた。ふと、このあり得ない奇跡の喜びがもし日本に起きたとき、人々はいったい何をうたうだろうかとBBCの映像を見ながら考えたことを、思い出した。こともあろうに、この『巨大なるブッツバッハ村-ある永続のコロニー』の公演で拍手をしながら。

 公演を見終えて思い出したのは、「ポチョムキン村」のことだった。18世紀の帝政ロシアで、皇帝の視察に備え、その寵臣が急ごしらえで張りぼての村をでっち上げたとされるエピソードである。無論、ポチョムキン村は一時的な視察に堪えるためだけに存在したわけで、「永続のコロニー」と謳うブッツバッハ村と直接の関わりはないのだが、随所に目を見晴らされるような着想や演技を配しつつ、同時に登場人物たちの「薄っぺらさ」が容赦なく暴き立てられているという作品構成に、どこか通ずる要素を感じたのだ。