よく分からなかったというか、あまり面白くなかったというと、なんだか自分が馬鹿であると公言しているようで気が引けてしまう。だが、もともと芸術なんて、この解釈が正しいとか間違っているなどということは本来あるはずがないもので、感じ方は各々の自由であるはずだ。それなのに、他人のブログやツイッター、時には評論を読んでついつい「答え合わせ」をしてしまう。あるいは、創り手が「分かる人にだけ分かればいい」なんて言い方をして、それを批評家が評価して、私一人が劇場でポツンと心もとない気持ちで座っている時などは、「お金払って、時間を割いてきたのに、分かんなきゃ分かんなくていいとか言われて、案の定分かんなくて、遠まわしに馬鹿だと罵られている気もして、私ここで何してるんだろう。」などと思うことがある。特にアフタートークなどを聞いている時はしばしばそういう気持ちになる。